このブログは更新を終了しました。移転先はこちらです。

2022-12-30

2022年の振り返り

 2022年ももう終わりということで、今年一年の振り返りをしたいと思います。何か活動をしたというわけではないので、単に私個人の内省となります。


2022-12-29

2022-12-28

自分とゲーム②~RPGの話~

 小中学生だった頃は毎日のようにテレビゲームか携帯ゲーム機で遊んでいたが、大人になってからはゲーム機で遊ぶということが全く無くなってしまった。ツクール作品を何本かPCでやったことはあったが、それも大学のうちの一、二年の間だけだ。

 スマートフォンで無料のゲームをインストールしてちょっとやって飽きたらやめる、ということは続いている。しかし「ちゃんとゲームをやる」みたいなことからはしばらく離れている。今年はスマートフォンのゲームも縁遠くなっていたが、今月に入ってまたいくつかやっている。ただそれも、昔ゲーム機で遊んだような厚みのゲームではない。

自分とゲーム①~ソシャゲの話~

 プログラミングをやるようになってから、ソシャゲの類は全くやらなくなったし、スマホゲーム全般に関心が薄くなった。高校以降はそもそもゲームをそんなにはやっていなかったが、この一年は一番ゲーム離れしていたと思う。(12月に入ってからソシャゲでないゲームをまたちょっとやっているけど。)

2022-12-25

よくわかるNoratetsu Lab(2022年版)~前編~

 去年と同様に、一年の総集編として今年このブログに書いた全ての記事からそれぞれ一部分をピックアップしました。ちょっと多いので前後編に分けています。

 なお2021年版はこちら→よくわかるNoratetsu Lab(2021年版)

2022-12-22

「報いの時」感想

 日曜日に「鎌倉殿の13人」が最終回を迎えた。いやあ、すごかった。といっても私が見始めたのは途中からで、確か頼家が斃れる直前の回からだったから1/3くらいしか追えていない。わかっていないことがたくさんあるが、それでも面白かったので、わかっている範囲で感想を書いておこうかなと思う。論考とかではなくただの日記です。


 ※以降最終回の内容に触れるのでネタバレされると困る方は回れ右。

2022-12-19

「とりあえずブログに」の定着を試みる

 常々、Twitter(あるいはMastodon)に考えを放流してしまってそのままになっていることが気になっている。

2022-12-18

アウトプットのコントロールド下手問題

 自分は表現のコントロールが下手だと感じている。表現の技術がどうというより、表現の場所や頻度、タイミングの選択に常に不満がある。どうにかしたいので、少し考えていくことにする。

ホームページ(仮)を作った

 何と呼べばいいのかわからないが、所謂ホームページ的なものを作った。

Noratetsu's page


 ここに何かコンテンツがあるわけではなく、投稿先を一覧できるものがあったらスッキリするかもと思い、まとめて見れるものを作ろうと思って作った。

 全く何者でもないような身でホームページなんか作っても……という感は無きにしもあらずだが、今後もTwitterにいるとは限らない感じになってきており、「今どこにいるのかわかる」ような何かを作っておきたいと思った。

2022-12-11

2022/12/11 ―― 「アウトライン」問題/TypeScriptを使い始めた

 前回から少し間が空いたが、日付をタイトルにしている時は「記事」というより「長いつぶやき」というつもりのものである(経緯:2022/11/14 ―― 日付をタイトルにする試み/やり方を真似したくなるということ)。

 複数の話題をパッケージにすることで「論じている感」を下げている、ということでもある。


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 デジタルノートツールの文脈で「アウトライン」と言うと単に「階層構造を示すように並べたリスト」ということになると思うのだが(表現はWikipediaより)、「アウトラインを考える」とか言った時にはもうその「形」ではなく「あらまし」「輪郭」といったイメージで語ることになると思う。その当たり前に行われる越境がずっと気になっている――というか、そもそも「形」だけを指して「アウトライン」と呼ぶことに無理があるよなと思っている。

 「アウトライン」と聞いてoutなline(つまり外側の線、輪郭のイメージ)を思い浮かべないはずはないし、outなlineのイメージは階層構造のイメージにはふつう直結しないのではないか。日本語にすると尚の事で、「輪郭」とか「概要」とかいう単語だけ聞いて「階層」を思い浮かべる人はほとんどいないと思う。outlineを辞書で引けば、手元の辞書(ジーニアス英和大辞典)では「(箇条書きに整理された)概略、概説」という意味が二番目に載っているが、それだけではそれ以上の構造的なニュアンスは想起しない。ちなみにリーダーズ英和辞典では「高機能ワードプロセッサーで、章・節などの見出しのみを表示したもの」と書いてある。これまた微妙である。辞書が古いせいもあるかもしれない。

 そのイメージの乖離ゆえに、「アウトライナー」という名称を聞いた状態であのツールの様子を見た時、単にその形をアウトラインと呼ぶのには個人的に抵抗がある。しかも、そこに何らかの動詞を伴わせた時点で、直ちに旧来の意味でのアウトラインの意味が混ざってきてしまう。アウトライン(=形)があの階層構造のリストの形をしているのは、本来アウトライン(=概略)のためだからであろうし(そうでなければ「アウトライン」という名前が付けられることはないだろう)、アウトライン(=形)を操作するというのはアウトライン(=概略)を作ろうとすることを意味しだす。アウトラインと呼ばれている形とアウトラインという語が含みうる概念とは違うもののはずだが、話の中で線引きがどこにあるのかは明らかでない。各々がどういう意味でアウトラインと言っているのか、アウトラインという語が曖昧すぎて全く自明ではないと感じる。

 単に形を操作することだけを示したい時に、「アウトライン操作」と言ってしまっていいのかどうか。いいのかというのは「良いか悪いか」という意味ではなく、「形の操作に過ぎない」ことが伝わるのかどうか、という意味である。しかし一方で、それが形の操作に過ぎないとしたならば、アウトライン(=概略)を組み立てる意味を込めたい時に逆に困るような気もする。

 形式と目的が同じ語で語られてしまうと、形式に常に目的が伴っているかのように感じる。でも、アウトライン形式で何かを書いた時、それは必ず目的的なアウトラインなのかは疑問である。少なくとも、積極的にアウトラインを作る時と、アウトラインと言えなくもないくらいの記述をする時とのグラデーションがある。そのグラデーション全てをカバーできるのが所謂アウトライナーの強みだと思う。しかしアウトライナーと言ってしまうと積極的で目的的なアウトラインに持っていくことをイメージしてしまうところがあるのが、私の中では引っかかるポイントになっている。


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 ここ数日、TypeScriptの環境構築を勉強して実際にtsファイルでコーディングできるようにした。npmでインストールとかjsonで設定とかコマンドで実行とかいうことには相変わらずおっかなびっくりだが、あれこれ検索してどうにかちゃんとコンパイルされるようにできた。

 プログラミング言語としてずっとJavaScriptを書いてきたが、関数やメソッドが複雑化してくると型付けができないのが不便に感じるようになった。複雑と言ってもプログラミング一年生の素人がひとりで作っているものなので全然大したものではないのだが、VSCodeの入力補助やエラーがもっとうまく働いてくれたら楽なのにと感じる場面が増えてきた。

 私はJavaScriptの勉強を始める最初の一歩を敢えてTypeScriptからスタートしたので、TypeScriptがどんなものでどう書けばいいのかはある程度知っていた。結局メソッドなどを調べる時にはJavaScriptを調べることになるのでツールづくりは完全にJavaScriptで書いていたのだが、最近になってじわじわとTypeScriptのありがたさがわかってきた。あれはこういう時にありがたいのだ、というのが実感としてわかるようになった。

 あとはコーディング技術が上がってきて文字数が増えることを厭わなくなり、型をその都度書いても別に面倒ではないなという気持ちになってきたこともある。不慣れなうちは型をちゃんと書けというのは面倒臭さばかりが目立ってしまうが、今は「ヒントになる情報をここに書き足せたらいいのに!」とか思っているわけなので、書けるなら書きたいくらいである。


 そんなわけで「実感を得てステップアップ」という感じで階段をひとつ上った。前に新たなメソッドを覚えた時なんかもそうだったが、低次元の技術でなんとかしていて「ここがこうできたらいいのに!」と思ったところで「こうすればできるんじゃん!」を発見した際の嬉しさは、プログラミングならではのものかもしれない。次に進めと急かされて学ばされるのは辛いが、自分で欲してから次に行くならこんなにも楽しい。

 そういえば、HTML要素をもっと直感的に書けたらいいのにと思っていて、そういやよく聞くReact(JavaScriptのライブラリ)ってどんなのなんだろうと思って調べたら、まさに自分の望みを叶えてくれそうなものだと知った。これも習得できたらきっともっと楽しくなるだろう。そこまでしなくても書ける程度のものしか作ってはいないが、わくわくを追ってReactにも手を出してみようかと思う。


2022-12-10

アウトライナーを前にしてやりたくなること

 アウトライナーと呼ばれる種類のツールを常用している。具体的には、アウトライナーそのものであるDynalistや、アウトライン操作を含む情報整理ツールであるScrapbox、あるいは自分で作っているデジタルノートツールのアウトライナー機能。自作のデジタルノート(JavaScript製)は基本的に全てアウトライナーを備えるようにしている。

 アウトライナー機能を使う時に自分は何をしたいと感じているのか、一度整理しておきたいと思う。

(※2022/12/10 9:36 加筆)

2022-11-30

お仏壇ライフハック~祖母編~

 前回は「お仏壇ライフハック」と称して、毎朝拝む時の心持ちを活用してその日を有意義に過ごす方法を書いた。

 またしても仏壇に関するライフハック(?)の話をしようと思うのだが、今回は私ではなく祖母のライフハック(仮)である。

2022-11-28

お仏壇ライフハック

 仏様に怒られそうなタイトルである。

2022-11-26

自己の未熟さを描写するということ

 自分にこういう至らなさがある、ということを描写して表明することの是非について。

2022-11-18

2022/11/18 ―― Twitterからの垂直移動/紙と筆ペン

 MastodonのインスタンスはFedibirdというところにしているが、今日はTwitterからの大量流入で調子が悪いようだ。こんな時はブログをちゃちゃっと書いていくことにしよう。

 Twitterのような場所があるからブログというのが「よりちゃんとした文章」という位置づけになってしまうのであって、この機会にブログももう少し軽く考えていこうと思っている。

 そういう位置づけというのは自分が勝手に決め込んでいるだけで、誰にも「ブログとは……」などと諭されたことはないのである。


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 Twitterの雲行きの怪しさからユーザーはあちこちに移動し始めているようだが、最も多く選択されているのがMastodonだろうか。私も5年半ぶりだかでアカウントを作ってちょこちょこトゥートしている。

 使用感としてはまあほとんど同じようなもので、字数制限に140字と500字という違いはあるが、日本語の言葉の密度で500字というのは結構な規模になるし、長くてもせいぜい200字くらいで呟いている。基本的には140字を超えたら内容が複雑になり始めていると考えてその辺で切ることにしている。(とか語るほどたくさん発信しているわけではないが。現在120トゥートくらいだ。)


 要はサービスの名前が変わっただけで自分がやっていることはほとんど変わらない、ということだ。まあまだMastodonでは他のアカウントをほとんどフォローしていないし、大量に移動しているとは言っても周囲の人々がそっくり移ったわけではなく(というかほとんど移っていないだろう)、「読む」体験の方はだいぶ違ったものになってはいる。それもそのうちTwitterと変わらなくなるのかもしれない。

 こんな感じでTwitterからMastodonというのはほとんど水平的な移動だろうと思う。同じものを求めて移動する先としてMastodonが選ばれている。InstagramやFacebookは毛色が違いすぎるのだろうし、その他のものは明らかに方向性が違うか知名度が乏しいかで、候補としてはあまり上がってこない。

 大事なのは単に人がたくさんいるかどうかではない。Twitterでの体験が他に代えがたいことから、できるならまた同じものを得たい、という気持ちが働いている。まあTwitterそのものにもTwitterで起こる諸々にも文句は無限に湧いてくるが、それでもTwitterは唯一無二なのである。


 しかし、Twitterが登場してからもう結構な年月が経つ。私達はTwitterに適応し、Twitterは私達に適応し、進化なのか退化なのか分からない変化を双方が経てきた。なんというか、そろそろ考え直しても良いのでは、という気分になってきている。

 水平移動ではなく、前にしろ後ろにしろ、どちらかに垂直移動した方がいいのかもしれない。前に何があるのかはよくわからないが、サービス側もユーザー側も手探りの中でやっていくような、ある種の謙虚さを持った場に環境をリセットしたい気持ちはある。

 あるいは敢えて後退するのもありだろう。典型がブログだろうが、バズることが繋がりを生むのではなく、個人間の共鳴から「一緒にやりましょう」という出会いが発生するような、そういう牧歌的な世界に行きたい思いもある。

 いずれの道にしろ、惰性で漫然と続けるという態度からはいい加減抜け出る必要があるのかもしれない。


*


 自分でデジタルノートツールを作ることが既に習慣になっているが、その一方で最近は紙に手で書いて考え事をすることが増えた。

 その契機となったのは、ある時ふと「自分にとってしっくりする紙面のサイズは何か」と思ったことだ。前々から使いやすいとかなんか嫌とか感じてはいたが、きっちり明らかにしたことはなかったので、自分と対話してみたのである。

 そうしたところ、明らかにこれとこれだ、というのがわかった。十年前とかに整理しておけばよかったものを、なんとなく曖昧にしていたために今更はっきりしたのだが、自分の馴染むサイズに納得するとなんだかすごくそのサイズの紙面に手で何かを書きたくなった。


 紙に書く上ではもうひとつ好みが左右する要素がある。筆記具の具合である。

 私はメモ書きにはペンを使わずずっと鉛筆(2BかB)なのだが、鉛筆の「感じ」は良いものの、色が銀色気味なことと材質上どうしても筆跡が光ってしまうのが気になっていた。より黒く、よりマットにするには、何Bかの柔らかい芯である必要があるが、そうすると字を書くのにはいまいちな感じがしてくる。

 はっきり書けるようにとボールペンなどを使うと、強弱のつかなさが個人的にはなんだか微妙で、更に言うと本当に一瞬だけ必要なメモ書きにインクを消費してしまうのはなんとなーく気が進まない。それならば気に入ったペンをここぞという時にだけ使って普段はそうでもないものを、などと思うと、そうでもないものの気に入らなさがストレスになる。貧乏性なのに変に神経質のようだ。


 長らくそのもやもやと共に生きてきたが、つい最近解決案として辿り着いたのが、筆ペンを普段遣いする、ということだ。使っているのはぺんてる筆(天然毛ではないものの穂先はほぼ筆そのもの)の中字と極細。筆だから強弱は当然つくし、墨(あるいは墨風の染料インク)だから色は黒くて光を反射しない。

 しかしそう軽々しく書きまくっているとあっという間にカートリッジを消費してしまうので、私はカートリッジのインクを使わずに普通に筆を使うように墨汁に先を浸して書いている。そんなにはっきりと濃い必要がないならちょっと水を混ぜて薄めたりしており、まあ墨汁のボトル一本使い切るのは相当かかるだろう。メモ書きには使っていなかったものの時々そうやって筆ペンに墨汁をつけて書くということをしていたが、それでも中学だったか高校だったかで買った「ぼくてき」をまだ使っているくらいである。


 例えば「Scrapbox風のツールを作るには」とかいうことを、普通に横書きで、鉛筆を持つような普通の持ち方で、ほぼ普通の速度で筆ペンで書いていく。一応下手の横好きでそれなりに使ってきたから書けているというのもあるだろう。図とかも筆ペンで書く。ぺんてる筆でスケッチする人はたくさんいるし、これで絵を描いても全然おかしくはない。

 鉛筆やボールペンで適当に書いた自分の字に「おっ」と思う可能性は皆無だが、筆ペンだと偶に「あっ今の払い良いぞ!」みたいなことがある。自在にコントロールできるほど上手くないからこそ「おおっ」が発生するのだろうと思うし、美しくは書けないなりに楽しい要素はある。


 パソコンに向かってプログラミングをしながら、傍らには紙と墨汁と筆がある。私にとって自分らしさとはそういうところにあるのだろうと思う。


2022-11-15

2022/11/14 ―― 日付をタイトルにする試み/やり方を真似したくなるということ

 日付をタイトルにしているが、今日という日は特別な日になりました――的な話ではなく、単に、今日考えたことを無題で書き連ねてみようという試みである。(後日追記:さすがに中身がわからなすぎるのでサブタイトルを添えることにした。)


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Mastodonでの今日のトゥートをベースに文章化)


 Twitterにツイートしようかと思ったがなんとなく気乗りせずにMastodonに書き込むということをした。自分の感覚として、Twitterだと本当に誰の需要も満たしそうにないものはツイートしづらい。今更ながら。

 おそらく過去にツイ廃期間が長くあったせいで、Twitterというのは自分の中で「居る」場所として捉えるものになっており、「ツイートする」イコール「自分がいる(=オンラインである)」という意味合いがあるように感じてしまっている。その感覚が自分の中でものすごく邪魔になっている。

 外界に対して閉ざしたいとか自分に都合の良いものだけ見たいとかいうつもりはないのだが、しかし自分が意識を向けられる範囲は量的に言ってごく僅かであるという認識があり、それを拡張することを求められるとしんどくなってくる。つまり、オンラインなら(今そこにいるなら)対応できるだろうとか、フォローしているなら見ているんだろうとか、そういう。誰かに何か言われたわけでもないが、そう要求したりされたりする様子を目撃したことはあるわけで、開き直りきれないでいる。

 これはしかし、ツイ廃でなければ(=絶えずツイートするとかいうことをしなければ)回避できることであり、「読者の存在を利用した言語化」の魔力に依存しなければいいだけのことではある。Twitterだと捗るからつい居座って書いてしまうのだというようなことはどこかしらで何度か書いたが、そうやって「自分の中身が言葉になっていく気持ちよさ」を欲して言語化をTwitterでやるから葛藤が生じる。要するに欲である。


 自分で自分を制御できていない感じというのはそれだけではない。TwitterにしろMastodonにしろ、言語化した内容そのものを世に放ちたいということもさることながら、空虚な自分を少しでも世界に根付かせたいという願望があってやってしまっており、その願望に対する自己嫌悪によって「つい呟いてしまう」と「つい呟いてしまうことを反省する(良くないことだと考える)」を無限に反復横跳びしている。それはきっと良くない。

 発信者としての側面だけ見ればそういう人間こそTwitterがぴったり、ということになるが、Twitterは単に発信の場ではない。受信の場でもある。自分の中でそのバランスが崩れていることがいつも気になっている。別に他の人がみんなバランスを取ってやっているわけではないにしても。昔から、常々「自分はTwitterには向いていない」と思いながら、しかしずるずると続けている。

 要するに、「気にしい」な性格でいながら一方的に喋っていられる場が必要で、それを求めてSNSを彷徨っても駄目なんだろう。そう考えると、つまるところ自分には「ブログしかない」のだと思う。じゃあ大人しくブログで書いてればいいじゃないかという話だが……点、点、点。


 Twitterとブログは何が違うか。どちらも人が読むことを前提にして文を書いていくという点では同じだ。しかし思考のタイムラインを作っていくことと記事を書くことは根本的に違う営為のようにも思う。なぜなら前者は自己の内面の描写、後者は他に向けた表現だからだ。

 そう思ったところで気づいたが、(例えばScrapboxの使い方としては失敗談として目にしがちな)「日付をタイトルにしたページ」というのはブログにこそ必要なのかもしれない。(そう思って、今この記事が作られている。)


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 Tak.さんのアウトライナーライフ(noteの有料マガジン)の記事を読んでいると(あるいはTak.さんの著作を拝読していると)、なんだか「シンプルにこれを真似たら結局全部うまくいくのでは?」という気分になってくる。読んでいてとても楽しい。実例があるとメソッドが実際的であることを感じるし、事実、Tak.さんはそうして日々をスムーズに送っていらっしゃるのだから、机上の空論ではないことは絶対確かなことである。想定は細やかで、スーパーマンがスーパーなところでしれっと補っているというようなところもない。

 一方自分自身の問題として、誰かの方法を「そのまま真似したい(そうしたら万事がうまくいきそう)」と感じる時というのは、自分固有の癖を忘れている時でもあるという実感がある。もし自分自身のことを仔細に思い出せているならば、そのまま乗り換えるのではなく、それを取り入れた自分仕様の何かを具体的に考えるはずである。

 そもそもTak.さんが「自分のやり方をそのままやってみてほしい、全部うまくいくから!」とお考えになっているはずもなく、むしろおそらくは全く逆で、人のやり方をそのままコピーしてしまわずに自分自身との対話でやり方を考えていく、その工程自体の例を示してくださっているのだと思う。なれば、こうしたら良さそうという気持ちを持ちながら、どうして「良さそう」なのか、どうしたらその「良さそう」を自分が殺さずに済むのかを、じっくり考える必要がある。

 やり方を見せてくれる人々は、それぞれが自分の中にある成分に基づいて最適化したものを披露してくれている。詳しく聞けば聞くほど「隙がない」かのような気持ちになってくる。ただ、そこにはその人を構成する成分しか含まれていない(それしか含みようがない)。そこに書かれていないこと――多くは故意に「伏せた」のではない――を考えなくてはならないだろうし、そのためにはやはり、自分の成分は何なのかを自分に問うて明らかにしなければならないだろう。


*

 

 ところで、このようにごちゃごちゃ詰めたような発信というのは前にScrapboxでも試したが、その時はまあ、さっぱり続かなかった。読み手の存在を考え、読み手にとっての無益さを意識しすぎたのだと思う。実際に無益で、変に自分の印象を和らげようとしたところもあったのか、他ならぬ自分自身にとってすら無益なものになっていた。何か自分にとって必要を感じたからやったはずだが、自分でそこから外れてしまったようだ。

2022-11-02

アウトライナー×つぶやき×平面配置②~ツール紹介編~

 メモを雑に書いたままゾンビ化させないために、「つぶやくように書けて、アウトライナーのように操作できて、平面配置で表示されて、自然にもう一人の自分と対話できるツール」を作ろうという話のツール紹介編。ここに至る経緯は前回の記事をご参照のこと。

アウトライナー×つぶやき×平面配置①~経緯編~

2022-10-31

アウトライナー×つぶやき×平面配置①~経緯編~

 前回(メモを取ろうとすると文にできなくなる件)、Twitterなら十分に読みやすいメモを書けるのに自分だけが見るメモ用のツールにメモをしようとすると雑に書いてしまうのが不本意だ、という主旨のことを書いた。

 そのことを解決するデジタルノートツールを作ったので、そこに至るまでの経緯とツールの様子について書いていくことにする。長くなるので前半後半に分け、今回は経緯の話をする。

2022-10-20

メモを取ろうとすると文にできなくなる件

 前回に引き続き、うちあわせCast第百十五回に関連して。今回はアイデアメモの取り方がうまくないということについて。

2022-10-19

アウトラインではなくキューを作る

 うちあわせCast第百十五回を拝聴した。メモ術・ノート術・執筆術の違いが語られており、うんうんそうだよねと思いながら聴いていたが、それはそうと自分の「文章を書き上げるために書くもの」はどんなものかを考えると、なんだかよくわからないなという気がしてきた。

2022-10-10

「何が言いたいのか分からない」ということ

 「何が言いたいのか分からない」と言われることがある、ということを吐露した投稿およびそれに同意するレスポンスを拝読した。(どなたのどの投稿かということは、明らかにした方がいいかどうか判断できなかったので、とりあえず書かないでおくことにする。)

2022-10-09

ツールを「使いこなす」という余計な構え

 一ヶ月ほど前に、最近Scrapboxを自然に使えるようになったという記事を書いた。(「いずれでもない」の受け皿としてのScrapbox

 今回は、要するに何が私を邪魔していたのか、ということについて考えようと思う。

2022-10-07

エッセイ集団という夢想

 うちあわせCast第百十四回を拝聴した。テーマは「面白い記事とは何かについて」。

2022-09-30

ツール製作日誌:トピック管理ツール

 4ヶ月ほど前に、GTD的な「プロジェクト」の名称はどうあるべきかという話題から(それには答えが出ていない)、そもそもタスクといわゆるプロジェクトはどういう関係にあり、どう管理したら良さそうかということを考えた。

    Noratetsu Lab: タスクとプロジェクトを考える

2022-09-23

ローカルのディレクトリの構造を大整理した

 ここ一週間くらいで、ローカルファイルのディレクトリ構成を大きく変更してファイルを整理した。ついこの間まで(唐突に)各所に記事を連投していたのに十日ほど前にあっさり途絶えたのはこの作業をやっていたからなのであった。

2022-09-22

ゼロからのプログラミングについての所感

 プログラミング経験がないところからJavaScriptの勉強をスタートしておよそ八ヶ月になります。

 まだわからないことはたくさんありますが、難題だったコールバックや非同期処理をある程度使えるようになったり、Node.jsを活用できるようになったり、他の言語(AutoHotkeyとか)を多少書けるようになったり、コマンドプロンプトでGitを利用できるようになったり、プログラミングやコマンド周りの壁をいくつか乗り越えたところで、ここまでの所感をまとめておきたいと思います。(経緯についてご質問のメッセージをいただいたこともあり)

2022-09-11

のらてつの茶の間とは

 「のらてつの茶の間」というミニブログを作った(半年前に)。位置づけとしてはTwitterとScrapboxの間のものである。

 Twitterでは時々茶の間茶の間と言っているのだが、それが何なのかということについてきちんと書いたことはなかったので、今更ながら記事にしておこうと思った。読んでもらいたいというより、言語化したものを置いておきたいという意味で書いた記事になっている。


※2023/02/08追記

(リニューアルして極限までシンプルな形に変更しました。現在は記事内の説明とは全く異なったものになっています。)

2022-09-09

デジタルツールでの情報カード性および文脈との結びつきの在り方

 「カード式アウトライナー」の話を何度か書いたが、デジタルツールについて「カード的である」というのは私の中でどういうことをイメージしたものなのか一度整理したいと思う。

2022-09-07

AutoHotkeyを使い始めた/noteを一年半ぶりに書いた

 Twitterのコミュニティ(知的好奇心向上委員会)でキーバインド(ホットキー、ショートカットキー)が話題になっていたので、そういえばショートカットキーを足すことはあっても「大本のキー配列を変えてしまう」ということは考えたことなかったな、と思い早速チャレンジすることにした。

2022-08-30

「いずれでもない」の受け皿としてのScrapbox

 去年まではScrapboxに入れていた情報のかなりの部分を、ここ数ヶ月で自作のツールに移した。その結果、Scrapboxを使うということの自由度が上がった。

2022-08-24

ブログの書き方ド下手問題⑨~一度にあれこれ語り過ぎる件~

 前回から五ヶ月半経っていることに仰天している第九回。過去の回の記事はこちらからどうぞ。 

 今回は「書けない」というより「ちょうどよく書けない」ということについて考える。いつにもまして個人的な話なので、誰かの参考にはならないかもしれない。

2022-07-27

ツール製作日誌:プログラミングの勉強を開始して半年の振り返り

 JavaScriptの勉強を始めて半年が過ぎた(1/27スタート)。

 三ヶ月経過した時点で振り返り記事を書いたが、今回も同じようなまとめをしておきたいと思う。自分用のただの日記である。

ツール製作日誌:三ヶ月で劇的ビフォーアフター① 自作ツール紹介編 

ツール製作日誌:三ヶ月で劇的ビフォーアフター② 生き方改革編

2022-07-21

ツール製作日誌:カード式アウトライナー③カードっていうかルーズリーフだった編

 前に自作の「カード式アウトライナー」についてブログに書いた。(ツール製作日誌:カード式アウトライナー②背景説明編

 これは二ヶ月ほど前から作り始めたもので毎日バリバリ使っているのだが、想定とちょっと違った使用感になっているので、そのことについて日記として書き留めておこうと思う。なお記事中でこのツールを指す呼称がないと不便なので、とりあえず自分のための愛称としてつけている「Protean Outliner」と書くことにする。

2022-07-18

五十年残る文章を書く

 昨晩、テレビで日曜美術館(NHK総合)を見た。「杉本博司 江之浦測候所奇譚(きたん)」の回である。

 現代美術作家の杉本博司氏が現在手掛けている「江之浦測候所」は、私たちの中に眠る古の記憶を呼び覚ますように、かつて古代人が見たであろう風景、覚えたであろう感動を想起させる彫刻や建造物で構成された、巨大なアート施設である(この説明は番組で見聞きしたものを思い出して書いているので、解釈に誤りを含む可能性がある)。この施設を作るにあたり杉本氏が意識しているのが「五千年後に遺跡としていかに美しく残るか」だ、ということがこの番組で語られていた。

2022-07-01

令和の「同人」としてのトンネルChannel

 先月末に倉下忠憲さんが「トンネルChannel」というSubstack(メール配信できる共同執筆ブログ的なもの)を開設なさり、面白そうと思って参加することにした。先月中に記事を2件投稿してみた。

2022-06-19

アウトライナーと手帳と表紙

 うちあわせCast第百六回を聴いた(2周した)。「アウトライナー」という概念に対するLogseq(あるいはRoam Research)の位置づけについて議論されていて興味深く思った。自分なりに考えたことを書いておきたいと思う。

2022-06-13

タイムライン型・カード型・デスクトップ型②~デスクトップ型~

 前回Logseqと自作のカード式アウトライナーをそれぞれ「タイムライン型」「カード型」としてはっきり使い分けることにしたという話をした。タイムライン型とカード型については、前回書いた以上に語るべきことは今のところ思いつかないので置いておくとして、今回はタイトルにあるもう一つの型、「デスクトップ型」ととりあえず名付けたものについて書く。

2022-06-07

タイムライン型・カード型・デスクトップ型①~タイムライン型とカード型を使い分ける~

 最近LogseqのAndroid版を活用し始めた(参考:Android版のインストール - Logseq日本語マニュアル(非公式))。Logseq自体は結構前にWeb版を使っていた時期があるが、今再び使い始めて、以前には見えなかったことが見えてきたので整理したいと思う。(Logseqの具体的な使い方の話というわけではありません。)

2022-06-02

ツール製作日誌:カード式アウトライナー②背景説明編

 自作の「カード式アウトライナー」についての製作動機・思想説明編。ツール自体についてはツール製作日誌:カード式アウトライナー①機能説明編をどうぞ。

ツール製作日誌:カード式アウトライナー①機能説明編

 ここ半月ほど、新しいアウトライナーの製作に取り組んでいる。Twitterでは時々それについて呟いているのだが、これと指し示す呼称がなく「今作っているアウトライナー」とか「(引用ツイート内の)これ」とかいう形で呼んでいてもどかしくなってきたので、ズバリ指し示せるように一度記事にしておきたいと思う。

2022-05-31

ツール製作日誌:タスク&スケジュール把握ツール

 前回(タスクとプロジェクトを考える)の最後で「どういうタスク管理ツールがあったら(私個人が)嬉しいだろうか、ということも考えていきたい」と書いた。今考えて設計しているところなのだが、その前に、この話題が出る以前に考えて作ったツールについてちょっと書いておきたい。

2022-05-25

タスクとプロジェクトを考える

 Twitterの知的好奇心向上委員会コミュニティ内で@rashita2さんが「gtd的な『プロジェクト』を別の名前で呼ぶことにしませんか」という提案をされていた。(コミュニティはオープンであるものの仕様上ツイート埋め込みができないのでリンク先をご参照ください)

 個人的にこの「プロジェクト」なる語に不明瞭さを感じていたこともあり、タスクとプロジェクトについて、語のイメージとそれらに関わって存在する要素を考えながら自分なりに整理を試みたい。

2022-04-24

ツール製作日誌:三ヶ月で劇的ビフォーアフター② 生き方改革編

 前回の続き。JavaScriptを勉強して情報管理ツールをいくつか作ってみたというのを前提に、何を得たのかをまとめておこうと思う。

ツール製作日誌:三ヶ月で劇的ビフォーアフター① 自作ツール紹介編

ツール製作日誌:三ヶ月で劇的ビフォーアフター① 自作ツール紹介編

 JavaScriptの勉強を始めておよそ三ヶ月になる(1/27スタート)。この間に自分のデジタルライフは大きく変わっていった。

2022-04-22

座標のない平面

 Twitterの知的好奇心向上委員会というコミュニティでやり取りする間に気づいたことのメモ。お話してくれた方々ありがとうございます!

2022-04-19

ツール製作日誌:「面のアウトライナー」

 ここのところ、HTML+CSS+JavaScriptでマンダラート的ツールの自作に取り組んでいた。

 現時点で搭載したい機能は全部搭載完了したので、この辺でブログに書いておきたいと思う。

 なお、後述するが今のところ公開は予定していない。いつかするかもしれないが、少なくとも今すぐにはできそうにない。

2022-03-07

JavaScript日誌:一歩進んだら十回足踏みせよ

  今年に入ってからJavaScriptの勉強をしている。1月27日からなので、一ヶ月半近くになったようだ。

2022-03-05

ブログの書き方ド下手問題⑧~文章にするの面倒くさい問題~

 久々の「ブログの書き方ド下手問題」更新。

 これまではブログに書いて発表するにあたっての精神的な枷について考えてきた。今回は少し方向転換をして「文章にするの面倒くさい問題」に挑むことにする。

2022-01-28

Twitter日誌:同じ流れを繰り返してパブロフの犬になる

 シリーズにするほど継続して書くことはない気がするが、とりあえず「このツールの使用について」という意味でTwitter日誌と題しておく。

 最近ツイートをすることによる効果を実感したことがあったので書き留めておく。いわゆるライフハックである。

2022-01-21

アウトライナー日誌:バレットを「┠」にしたらバレット感に邪魔されなくなった

 タイトルで全てを言ってしまっているのでこれで終わりでも良いかなと思っているところだが、さすがにもうちょっと何かは言えるのではないかと思うので少し考えてみることにする。

2022-01-09

Scrapbox日誌:「整理したい病」には「放置」が効いた

 複数の情報を扱う時、何かしらの観点で括れそうな気がすると括りたくなる。

 物事と物事の間に共通点や相違点を見出すことは理解の基本であって、見出した瞬間には脳内に快感物質が出ている気もする。括れるところで括り、分けられるところで分けるのは気持ちが良いのである。

 それは同時に、括れるはずなのに括れていない、分けられるはずなのに分けられていない、という認識が自分を不満にさせる可能性も示している。

2022-01-01

ブログデザインを一新しました

 あけましておめでとうございます!

 年が替わったのを機にブログのデザインを変えてみました。