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2022-12-28

自分とゲーム①~ソシャゲの話~

 プログラミングをやるようになってから、ソシャゲの類は全くやらなくなったし、スマホゲーム全般に関心が薄くなった。高校以降はそもそもゲームをそんなにはやっていなかったが、この一年は一番ゲーム離れしていたと思う。(12月に入ってからソシャゲでないゲームをまたちょっとやっているけど。)


 ソシャゲをやり続けてしまうのは、やり続けないと手に入らないものがあるからだ。そして頑張ればやり続けられそうだから、時間をそれに振り分けてしまう。

 他のあらゆることより、「頑張ればこのキャラが手に入る」「頑張ればコレクションが欠けない」ということの快や安心感が上回っていると――いや、「手に入らない」「欠ける」ということが、他の何かをやらないでいることより大きい損失に感じられると――それをやめてしまう勇気は持てなくなる。ちょっとイベントを頑張れば、あるいはいくらか金を出せば手に入るのがわかっているのに、それをしないという選択をする、というのがかなり辛いものになってくる。ここまでやり続けてきたのに、ここまで手に入れ続けてきたのに、途中でやめるのは……という気持ちも生じる。

 私はその気持ちが強い方ではなく、そんなに頑張ってもいなかったし、課金も他の人と比べたら微のうちの微という感じだが、それでも「すっかりやめる」のは容易でなかった。そしてやっていて特に面白くもないイベント周回を最低限こなし、何かを取り逃すと悲しい気持ちになったりした。

 しかし、プログラミングにハマってからはいよいよ「ゲームなんかやっている時間はない」という状況になり、自分の生活からソシャゲがバッサリ裁ち落とされた。そもそも「手に入れられる喜び」のためではなく「手に入らない悲しみ」のためにやっていたようなもので、結局ネガティブ感情が生まれる機会の方が多かったため、一切やめてみるとむしろ気が楽になった。ソシャゲはゲームとしてはいくらやってもすごく楽しい嬉しいということにはならなかった一方で、プログラミングはやればやっただけ楽しいし嬉しくなる。


 自分の中にあったソシャゲの「やめがたさ」は、キャラなりカードなりにストーリーが付与されていることに起因している。ストーリーには快があるから見たくなるし、登場するキャラのことが好きになっているからそのキャラについて見逃しているものがあるのが嫌だし、キャラについて話した時に「それはあのカードで語られていますよ」とかなったらどうしようもない。

 ストーリーの快は、次々出てくるのをずっと追うことによって加速すると感じている。次はどんなのが来るかと待ち構えて、予想が当たったとか外れたとかで興奮するわけである。でも追えなくなるとその興奮はすっと消えてしまう。待ち構えることなく見かけたストーリーには「へえ」としか思わない。カードを手に入れる時期が登場時期とずれてくると、どの順番で何が発生したのかもわからなくなってくるし、何を見て何を見ていないかも曖昧になる。そうなると、「へえ」という分の小さな快はあっても、興奮を覚えることはなくなっていく。

 この変化は、追わなくなって初めて分かるものだろうと思う。そして一度興奮が収まってしまえば、もう必死にはなれない。早い話がほとんどどうでも良くなってくる。ソシャゲというのは基本的に辛いものだから、やめられるならやめたいという気持ちが常に漂っていて、「なんかもうやめてもよくない?」という方に傾き始めると戻ることはほぼない。今年の私の場合は少しずつフェードアウトしたというより一瞬でプログラミングに圧殺されたのだが、いずれにしてももう熱意が復活することはないだろう。過去にやめてきたソシャゲを振り返っても、一度やめたら復帰はない。これまでは「別のソシャゲ」に移っていったわけだが、今回は「ソシャゲ」というカテゴリ自体とお別れになりそうだ。


 Twitterで発信するなどしている場合、ソシャゲ類を全部やめるということは、(他のジャンルが共通言語になっていない限り)そのソシャゲを共通の話題として成り立っていた人間関係を半ば捨てることでもある。わざわざ断ち切るわけではないとしても、話す機会は確実になくなっていく。相手が自分に興味のない話しかしなくなれば「知らない話しかしないしもう見なくてもいいか」となることもある。

 共通の話題がなければ成立しない程度の縁は、繋がろうが切れようが人生の大勢に影響は無いが、まとめて手放すためにはそれなりのエネルギーや口実が必要になる。就職したとか昇進したとか結婚したとか子どもができたとかのイベントを機に手放す人は多いだろう。そういうライフステージ上の変化がない場合、生活がガラリと変わるくらいの出会いがないとたとえ疲れを感じていてもそこから離れることは難しいのかもしれない。ゲームそのもののやめがたさに人間関係上のやめがたさが加わって、ソシャゲという世界に留まってしまう。


 プログラミングをバリバリやり始めるということは当然それ以前にあった何かを切り捨てて時間を捻出しているわけで、その切り捨てられたもののうちのひとつがソシャゲだったわけだが、色々な意味で、プログラミングに取って代わられたことは良いことだったなと感じている。


 切り口は全然違うものになるが、ゲーム繋がりということで次は自分とRPGについて書こうと思う。