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2022-12-22

「報いの時」感想

 日曜日に「鎌倉殿の13人」が最終回を迎えた。いやあ、すごかった。といっても私が見始めたのは途中からで、確か頼家が斃れる直前の回からだったから1/3くらいしか追えていない。わかっていないことがたくさんあるが、それでも面白かったので、わかっている範囲で感想を書いておこうかなと思う。論考とかではなくただの日記です。


 ※以降最終回の内容に触れるのでネタバレされると困る方は回れ右。


 何より舌を巻いたのは、これまでうっすら「これでいいのか?」と感じていた人物たちについて全て片を付けていったところだ。このドラマの人物たちは、歴史上の人物的ではなく、実際に生きているリアルな人間をベースにちょっとキャラクター寄りにデフォルメしたかなというくらいの人物像だと思うが、その中で妙に言動が単調のように感じていた人物がいて、それがのえ(=伊賀の方)、三浦義村(平六)、北条政子、の三人だった。ずっと出ているのに何かがわからない、どこか言動が浮いている、そんな感じがしていた。

 のえはところどころ登場しては野心が強い愚かな妻という振る舞いを見せ、それ以上のものがない。平六は毎度毎度人を唆してはその後北条に寝返り、「三浦が生き残るため」と繰り返す。政子は小四郎が非情な決断を下す度に綺麗な正論で食って掛かる。そういうキャラだと言われたらまあそうなのかなと思うものの、小四郎の人物像の複雑さと比べるとなんだか厚みが足りない。一方北条時房(五郎)や北条泰時(太郎)は、わかりやすいキャラクターではあったが、意外性を見せたり考えを途中で改めたりと複雑さが垣間見えるところがあった。しかしのえ・平六・政子には(少なくともドラマの2/3以降では)意外性を見せる箇所が無かった。このまま話が終わったら「なんだったんだあの人物は」という気持ちのままだった。

 そして最終回で、そのもやもやが全部晴らされていったことになる。

 最終回を見る前にタイトルの「報いの時」から受けた印象は、小四郎が政治家としてこれまで数多の重要人物を死に追いやってきた、その所業に対する報いがやってくるのだろうということだった。実際には、それもまあ無くはなかったとは思うが、そんなことよりもっと個人的な不誠実さに対する報いの時だった。最終回時点で存命の人物の中で、小四郎が決定的に不誠実だった相手がのえと平六と政子だったわけだ。(実衣(=阿波局)に対しても酷かったとは思うが、実衣の方は実衣も実衣だし「(自分は)どうかしてました」で自己解決している。)

 小四郎は「思惑」はわかるくせに人の「心」はもう本当に全然わかっちゃいないので、直接関わった相手にはだいたい無神経なのだが、「距離が近い」ほどその無神経さが悪質なものになってしまったということだろう。のえも平六も政子もずっと我慢していた。そして小四郎がやるべきことをやり終えるまで我慢してやったのに、結局我慢した甲斐がなかった、ということになってしまったのかもしれない。


 のえはあまりに悪妻な感じに描かれていたので最終回より前の段階で感情移入するのは難しかったように思うし、どちらかというと小四郎目線で「こんな妻じゃ愛せなくて当然」というふうに見てしまうところがあった。しかし考えるに一番長く小四郎の隣にいた妻はのえだし、描かれていないところで妻として支えてきたに違いないし、出自も真っ当であって、大人になった男子もいる。それなのに小四郎はのえを愚妻扱いして徹底して目を背けてきた。そんなに嫌なら早いうちに離縁すればよかったのに、それもしない。結局のえは妻なら知らされていて当然のことを何も知らされず、兄は謀略に巻き込まれて死んだのに謝罪はなく、子どもは跡継ぎにもさせてもらえない。一体何のために妻をやってきたのかとなって当然だ。

 一見すると、妻という立場の中で比較して八重や比奈のように想われていないことを訴えていたかのようだったが、ただその二人に負けたということではなく、最後にのえが言及した面々、つまり八重、比奈、太郎、政子、平六、その五人全てより順位が低かったことを訴えていたのだと思う。そりゃ小四郎が悪い。前の妻二人、前の妻の息子、姉、盟友、それより今の妻の優先順位が低いというのは普通に不誠実過ぎる。父時政が「今の妻」のために全てを捨てることになったのとは良くも悪くも正反対だ。小四郎が仕事を一通り全うするまで待ってやったのだからのえは偉い、くらいの気持ちにもなってくる。「私のことなど少しも……少しも見ていなかったから。だからこんなことになったのよ!」という咆哮は、それまでの軽佻浮薄なのえと打って変わって重々しい存在感を放っている。


 平六も毎話の掌返しで「あいつはそういうやつだ」という雰囲気が漂っていたが、どうして小四郎の言うことを聞いたり裏切ったり果ては殺そうとさえしたかの種明かしをされると、「そりゃそうなる」という気分になった(掌返ししているのは私の方です)。平六の告白を聞いて「いや爆豪勝己か!」と思ったが、相当な苦悩があったということを想像してしまう。平六が度々無駄に脱いでいたのも、「俺は小四郎より立派な偉丈夫だ」ということを小四郎や周囲に示すためだったのかも知れない。

 平六が裏切り裏切り裏切りを重ねていたのは、半分くらいは小四郎の指示で不満分子を唆して誅殺の口実を作るためだったかと思う。平六はその企みを全部成功させ、小四郎の思惑通りに危険な存在が排除され続けた。今考えるに、小四郎は説得らしい説得にほとんど成功したことがない気がするのとは対照的だ。平六はいつも相手の信用を得て懐に入り込み、言葉巧みに操って相手に行動に移させる。時房なんかは平六が本当に忠義に厚い人間だと思っていたふしがある。それだけ平六は有能で魅力的で影響力の大きい重要人物で、北条という立場がなければ人の上に立てていない小四郎とは大違いなのだろう。(だからといって平六に執権が務まったかと言うと多分それはそうではないのだろうけど。)

 自他ともに認める優秀な人物であるのに、小四郎が北条で自分は三浦というそれだけのことで、平六は小四郎の言うことを聞かねばならず、北条の支配を盤石にするために所領を奪われたり茶番をさせられたり汚れ仕事をやらされたり……小四郎は「お前は私の盟友だろう、わかってくれるよな?」という感じの態度で平六を従わせ続けてきた。それだけ平六を働かせても、小四郎は「お前のおかげだ」と真摯に向き合った気配もなく、そして政を成り立たせるためには表に見える手柄の分しか報奨も返せなかったのではないか。平六はどれだけ頑張っても小四郎の下にいる限りはただの御家人である。しかも北条が偉いのは小四郎が偉いからではなく、たまたま小四郎の姉が頼朝と結婚したからだ。「世の中不公平だよなあ!」

 しかし結局のところ、平六が信用ならない人物であることはとっくにわかっていた小四郎が、それでも幼少からのよしみと平六への高い評価から平六を重用し続けたということが、実朝暗殺前まで平六を耐えさせていたし、その後もここぞというチャンスを逃させたし、ついに毒を盛るに至っても、最後には平六を忠義の人間に変えさせたということになるんだろう。小四郎はずっと平六をこき使って不誠実に扱ってきたが、小四郎が示せる最大限の誠意が「それでも信じる」ということだったのだろう。いやあ見事なパズルだ。「女子は皆きのこが好き」という話を信じているような小四郎を、平六は「間抜けな奴だ」と思いながらも憎めないところがあったのだろうなとも思う。


 政子に関しても小四郎は酷い。

 政子が頼家の死の真実を知らないでいた(うすうすわかっていたが詳しくは知らなかった)ことに、一瞬小四郎と同じ顔になって「あ!?そっか!?」と思ったのだが、なぜ「政子は知っている」と思い込んでしまったかといえば、実朝が政子を責め詰った場面があったからだろう。あの時具体的にどういう台詞が交わされたのかちょっと覚えていないが、私は政子もある程度知っていると思ってしまっていたから実朝の嘆きが政子に深々と刺さったのだと解釈したのだが、知らなかったとなれば政子にとっては全く仰天の展開だったのではないか。何が間違っていたのかと反省しても、頼家の死の真相を知らないことには実朝のメッセージは正しく受け取りようがない。

 最終回の小四郎との最後の会話で政子に起きたことは、最愛の息子は小四郎の命で殺されていたと知らされ、実朝と公暁の憤りの正体が何だったかを悟り(多分)、それが究極のところ小四郎の「北条泰時の名を輝かせる」という願いのために行われたと語られ、更に小四郎は自分の息子のためにまだ人を殺そうとしているのだと知った、ということだ。これは酷い。小四郎が「鎌倉のため」と言っていたうちはいいが、もはや小四郎は「太郎のため」に人を殺めるつもりでいる。政子はこの会話の最初で「頼朝様から鎌倉を受け継ぎ次へ繋いだ」「だからどう思われようが気にしない」という話をしたのに、小四郎は政子を称賛しながらも違うことを考えていたわけだ。苦渋の決断に涙を流していた姿はもう失われ、太郎のためならボタンをぽちっと押すかのように幼帝の殺害を命じられる。政子は我が子を失った分(そして尼将軍としても)、民のために尽くし、親をなくした子どもたちを助け、亡くなった人々の菩提を弔おうとしている。そんな政子に向かって、自分の息子を輝かせたいからまだ人を殺すぜとか言っちゃう小四郎。酷い!

 政子が「我が子を殺された恨み」だけで小四郎の命を絶ったわけではないにしても、小四郎の姿に「この子はもうこれ以上生きていてはならない」と思ったのは確かで、人の死を誰よりも明確に嫌っていた政子が延命の道を自分の手で断つ決断をするほど、小四郎は酷いことをした。これまでの数々の非情な政治的決断よりも、政子の前で「自分の息子の未来」を語ったということが遥かに罪深く感じられた会話だった。

 でも、可愛い弟がそんな人間になってしまったのは小四郎を鎌倉の政治に巻き込んだ政子のせいでもある。「あの子はそういう子です」が口癖のような政子としては、小四郎が本当はこういう子ではないこと、政の重圧でおかしくなってしまったことがわかっていただろうし、耐え難いことだったのかもしれない。政子のすすり泣きは小四郎に対する申し訳なさもあったのだろうと思った。


 のえ・平六・政子の態度が最終回前まである種単調に見えたのは、小四郎に対して突きつけるべき感情を突きつけないでいたからだったのだと思う。のえは文句を言ったことがあったが、それにしたって本当ならもっと怒ってよかったのに、「ちょっと文句を言う」くらいに留まった。小四郎の仕打ちに対して三人が感情を激しく爆発させたことがなかったから、なんとなく人間味の乏しい姿になってしまっていたのだろう。明らかに不満があるのに、事態を大きく動かすほどのことはせず小四郎の思い通りにしてきたのが、なんとなく「起きるべき波乱が起きていない」印象をもたらしていた。それが最後の最後で全部回収されていった。まさに「報いの時」。すごい。

 そして、単純に「のえが毒を盛って小四郎を殺した」というのではなく、平六が毒を用意し、のえが毒を飲ませ、しかし最後は政子が薬を飲ませなかったことで命が尽きたという展開に膝を打った。誰が殺したとも言い難い。その全員によって小四郎は少しずつ死んでいった。あと運慶の仏像にも命を縮められた感がある(視聴者の命も縮みそうな造形だった…)。でも、政子に頼家の話をしたあたりから容態が悪化しているところからして、一番小四郎の寿命を削ったのは小四郎自身の罪の意識だったようにも見える。


 それにしても。前の回で、独りで死ぬつもりでいた小四郎を政子が演説で救った。しかし最後は、まだ生きるつもりでいた小四郎をその政子が見殺しにしている。その逆転は皮肉なようだが、でも前回の小四郎の救いは生かされること(生きることを認めてもらうこと)だっただろうし、最終回の小四郎の救いは死ぬこと(もう頑張らなくていいと止めてもらうこと)だったのだろう。

 小四郎を鎌倉という地獄に引きずり込んだのは政子で、小四郎に生と死の救いをもたらしたのも政子。逆に、この時代にあって政子の手は綺麗なままだったのは小四郎のおかげで、一方政子の絶望を作り出したのも小四郎。地獄の二人三脚で一蓮托生といった感じだが、少し前までは「こんな泥沼の連続で最後はどう着地できるのか」と心配になったのがなんとまあ鮮やかに終わったことだ。

 そういえば、政子が演説前に小四郎について「格好良いままでは終わらせません」という話をしていたが、それはその時点では「まだ生きてもらいます」「格好良い出番は私がもらいます」というようなニュアンスだったのに、最後の最後本当に小四郎が格好良く終われなかったのだから政子の言霊は強い。

 史実に詳しくないのでどこにどの程度脚色が加えられたのかは感想コメントや検索で知ったことと照らして想像するしかないのだが、かなり難しい時代を三谷幸喜マジックで見事にまとめて走りきったのだろうと思う。

 面白かった!


(2022/12/23 最後の方に加筆)