前回は「お仏壇ライフハック」と称して、毎朝拝む時の心持ちを活用してその日を有意義に過ごす方法を書いた。
またしても仏壇に関するライフハック(?)の話をしようと思うのだが、今回は私ではなく祖母のライフハック(仮)である。
このことはすっかり忘れていた――というかライフハックだとは全く思っていなかった――のだが、今日うちあわせCast第百十七回を拝聴して思い出した。
最後の最後あたりでTak.さんのお母様のお話があった。大事な書類を、大事ゆえにしまい込んで行方をわからなくしてしまう。大事なものを大事でないものと一緒くたに置いておくのは抵抗があって、「わかりやすさ」を基準にして一箇所にまとめることができない。そういった感じのお話だったかと思う。
私の祖母も基本的にはそういう価値観だった。祖母の場合は価値観どうこう以前に片付けがあまりにも苦手過ぎて、結局大事なものも今すぐ捨てても良いようなものもごちゃごちゃに混ざっていたのだが、しかし意識的にものを仕分けるとなれば、やはり大事なものは大事にするという気持ちが働いて変なところに置き場所を移してしまうということが起こっていた。周りが「ここにある」と思っていたのが、ちょっとしたらもう全然違うところに移動しているのである。
本人としてはより相応しいところに移そうとしているわけだが、その基準が下の世代とは根本的に違っているので周りには理解し難いし、本人もその都度相対的に場所を選んでしまって基準が曖昧なので自分で思い出せないということになる。齢を重ねるにつれ、移したこと自体覚えていられないということにもなった。
一方で、手紙類は割と一箇所にまとまっていた。どこかと言えば、そう、仏壇である。
インボックスの概念などあるはずもないし「一箇所にまとめるとわかりやすい」なんてことは考えもしなかったと思うが、ただ「大事なものはとりあえず仏壇に置く」という習慣によって、仏壇の周りは「祖母的に大事らしい、且つ他に置き場所を見出していないもの」で溢れていた。結果として、手紙類の七割くらいはそこにまとまっているということになった。本人なりに置き場所をうっかり思いついてしまったものは果てなき放浪の旅に出発してしまうため、100%全部がまとまっていたわけではないが、全てばらばらよりかは大分マシである。
大事なものを大事でないものと一緒に混ぜてしまうことへの抵抗を減らすというのは、ほとんど無理なことだろうと思う。そもそも全く抵抗が無いことが「良いこと」かどうかも正直わからない。そこに抵抗を感じないことには物の管理に於いてメリットがあるが、抵抗をなくすべき、とは言い難い。
祖母のライフハック(仮)を踏まえると、「大事っぽいものはとりあえずここに置く」と本人が納得できる置き場所があれば、ある程度は物の紛失・散逸を防げるのだろうと思う。大事っぽいものを置くわけだから、適当な箱とかではなく、十分に大事っぽい場所である必要がある。その点たまたま仏壇というのはうってつけだったわけである。
置き場所の性質としても割に都合が良かった。なにしろオープンであり、「しまい込む」が発生しない(仏壇の抽斗を活用し始めるとやや怪しくなってくるが、それでも「仏壇のどこか」さえ貫かれれば探すのはそう難しくはないだろう)。取捨選択も無しにごちゃごちゃと置きすぎて家族からすれば「仏壇は物置きじゃない!」と不評だったわけだが、しかし今考えるにそれ以上の適切な(現実的で実行可能な)やり方はなかったと思う。
重要なのは本人が「大事なものを置くに相応しい」と納得できることだろうし、私の祖母の場合は祖母自身の中に「とりあえず仏さんのところに置くべし」という気持ちがあったから成り立っていたことではあるだろう。既に長い歳月を生きてきた人に、別途新たに場所をセッティングさせるのは容易でないような気はする。
あと思うのは、比較的若いうちは合理性で決めていられるわけだが、自分も年を取るとそういう風には判断できなくなってくるかもしれないということだ。「より適切な場所」を考えるのが難しくなる日が来ても混乱しないように、「大事なものはこの入れ物」みたいな反射は予め意識的に構築しておいたほうがいいのかもしれない。