MastodonのインスタンスはFedibirdというところにしているが、今日はTwitterからの大量流入で調子が悪いようだ。こんな時はブログをちゃちゃっと書いていくことにしよう。
Twitterのような場所があるからブログというのが「よりちゃんとした文章」という位置づけになってしまうのであって、この機会にブログももう少し軽く考えていこうと思っている。
そういう位置づけというのは自分が勝手に決め込んでいるだけで、誰にも「ブログとは……」などと諭されたことはないのである。
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Twitterの雲行きの怪しさからユーザーはあちこちに移動し始めているようだが、最も多く選択されているのがMastodonだろうか。私も5年半ぶりだかでアカウントを作ってちょこちょこトゥートしている。
使用感としてはまあほとんど同じようなもので、字数制限に140字と500字という違いはあるが、日本語の言葉の密度で500字というのは結構な規模になるし、長くてもせいぜい200字くらいで呟いている。基本的には140字を超えたら内容が複雑になり始めていると考えてその辺で切ることにしている。(とか語るほどたくさん発信しているわけではないが。現在120トゥートくらいだ。)
要はサービスの名前が変わっただけで自分がやっていることはほとんど変わらない、ということだ。まあまだMastodonでは他のアカウントをほとんどフォローしていないし、大量に移動しているとは言っても周囲の人々がそっくり移ったわけではなく(というかほとんど移っていないだろう)、「読む」体験の方はだいぶ違ったものになってはいる。それもそのうちTwitterと変わらなくなるのかもしれない。
こんな感じでTwitterからMastodonというのはほとんど水平的な移動だろうと思う。同じものを求めて移動する先としてMastodonが選ばれている。InstagramやFacebookは毛色が違いすぎるのだろうし、その他のものは明らかに方向性が違うか知名度が乏しいかで、候補としてはあまり上がってこない。
大事なのは単に人がたくさんいるかどうかではない。Twitterでの体験が他に代えがたいことから、できるならまた同じものを得たい、という気持ちが働いている。まあTwitterそのものにもTwitterで起こる諸々にも文句は無限に湧いてくるが、それでもTwitterは唯一無二なのである。
しかし、Twitterが登場してからもう結構な年月が経つ。私達はTwitterに適応し、Twitterは私達に適応し、進化なのか退化なのか分からない変化を双方が経てきた。なんというか、そろそろ考え直しても良いのでは、という気分になってきている。
水平移動ではなく、前にしろ後ろにしろ、どちらかに垂直移動した方がいいのかもしれない。前に何があるのかはよくわからないが、サービス側もユーザー側も手探りの中でやっていくような、ある種の謙虚さを持った場に環境をリセットしたい気持ちはある。
あるいは敢えて後退するのもありだろう。典型がブログだろうが、バズることが繋がりを生むのではなく、個人間の共鳴から「一緒にやりましょう」という出会いが発生するような、そういう牧歌的な世界に行きたい思いもある。
いずれの道にしろ、惰性で漫然と続けるという態度からはいい加減抜け出る必要があるのかもしれない。
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自分でデジタルノートツールを作ることが既に習慣になっているが、その一方で最近は紙に手で書いて考え事をすることが増えた。
その契機となったのは、ある時ふと「自分にとってしっくりする紙面のサイズは何か」と思ったことだ。前々から使いやすいとかなんか嫌とか感じてはいたが、きっちり明らかにしたことはなかったので、自分と対話してみたのである。
そうしたところ、明らかにこれとこれだ、というのがわかった。十年前とかに整理しておけばよかったものを、なんとなく曖昧にしていたために今更はっきりしたのだが、自分の馴染むサイズに納得するとなんだかすごくそのサイズの紙面に手で何かを書きたくなった。
紙に書く上ではもうひとつ好みが左右する要素がある。筆記具の具合である。
私はメモ書きにはペンを使わずずっと鉛筆(2BかB)なのだが、鉛筆の「感じ」は良いものの、色が銀色気味なことと材質上どうしても筆跡が光ってしまうのが気になっていた。より黒く、よりマットにするには、何Bかの柔らかい芯である必要があるが、そうすると字を書くのにはいまいちな感じがしてくる。
はっきり書けるようにとボールペンなどを使うと、強弱のつかなさが個人的にはなんだか微妙で、更に言うと本当に一瞬だけ必要なメモ書きにインクを消費してしまうのはなんとなーく気が進まない。それならば気に入ったペンをここぞという時にだけ使って普段はそうでもないものを、などと思うと、そうでもないものの気に入らなさがストレスになる。貧乏性なのに変に神経質のようだ。
長らくそのもやもやと共に生きてきたが、つい最近解決案として辿り着いたのが、筆ペンを普段遣いする、ということだ。使っているのはぺんてる筆(天然毛ではないものの穂先はほぼ筆そのもの)の中字と極細。筆だから強弱は当然つくし、墨(あるいは墨風の染料インク)だから色は黒くて光を反射しない。
しかしそう軽々しく書きまくっているとあっという間にカートリッジを消費してしまうので、私はカートリッジのインクを使わずに普通に筆を使うように墨汁に先を浸して書いている。そんなにはっきりと濃い必要がないならちょっと水を混ぜて薄めたりしており、まあ墨汁のボトル一本使い切るのは相当かかるだろう。メモ書きには使っていなかったものの時々そうやって筆ペンに墨汁をつけて書くということをしていたが、それでも中学だったか高校だったかで買った「ぼくてき」をまだ使っているくらいである。
例えば「Scrapbox風のツールを作るには」とかいうことを、普通に横書きで、鉛筆を持つような普通の持ち方で、ほぼ普通の速度で筆ペンで書いていく。一応下手の横好きでそれなりに使ってきたから書けているというのもあるだろう。図とかも筆ペンで書く。ぺんてる筆でスケッチする人はたくさんいるし、これで絵を描いても全然おかしくはない。
鉛筆やボールペンで適当に書いた自分の字に「おっ」と思う可能性は皆無だが、筆ペンだと偶に「あっ今の払い良いぞ!」みたいなことがある。自在にコントロールできるほど上手くないからこそ「おおっ」が発生するのだろうと思うし、美しくは書けないなりに楽しい要素はある。
パソコンに向かってプログラミングをしながら、傍らには紙と墨汁と筆がある。私にとって自分らしさとはそういうところにあるのだろうと思う。