前に自作の「カード式アウトライナー」についてブログに書いた。(ツール製作日誌:カード式アウトライナー②背景説明編)
これは二ヶ月ほど前から作り始めたもので毎日バリバリ使っているのだが、想定とちょっと違った使用感になっているので、そのことについて日記として書き留めておこうと思う。なお記事中でこのツールを指す呼称がないと不便なので、とりあえず自分のための愛称としてつけている「Protean Outliner」と書くことにする。
まず、これは「カード式」なのか? という疑問が立ち上がっている。コンセプトを根底から覆すような疑念なのだが、当初イメージしていた「カード」と、実際的な意味での「カード」が違っていたために少し想像から外れたところがある。
背景説明編にて自分で「Evernoteの本文部分がアウトライナーになっているようなものかもしれない」と書いたのだが、まさしくそうで、これはカテゴリとしてはEvernoteと同種のものだった。カードではなくノート(大学ノートやリングノートの意味での「ノート」)の流れである。私が「カードボックス」としてイメージした構造は、実際にはルーズリーフのバインダーだった。
アウトライナー部分がアウトライン構造から解放された状態というのが、このツールを作る前の時点では私の中でちょっと革命的だったし、「ばらせるもの」というイメージに基づいて「カード風」と捉えていた。実は「カード風」より「ルーズリーフのリフィル風」なのだというのは使ってみて初めてわかった。
その感じが駄目かというとそんなことはなく、デジタルノートとしては私の中でEvernoteの上位互換になっている(もちろん「ノート」以外の機能はEvernoteに敵うべくもない)。アーカイブの概念があることによって、済んだリフィルをバインダーから外すようにして不可視化し、今現在アクティブなページのみがきちっと整列している。作成日時または更新日時でのソートや、期間や分類でのフィルタリングによって今の自分が把握しておきたい形で一覧できる。これはとても使いやすい。カード間リンクについても色々と機能を搭載していて、今開いているのとは別のカードの内容を、そのカードに移動せずに確認できるようにするなどしている。
特に、何かゴールがある類の考え事をするのに適している。例えばブログ記事を書くということもそうだ。複数のカードに書いたものをその場で見ながら書くことができるので混乱が少ない。そして記事を書き終わればそのノートについてはとりあえず用済みになり、アーカイブにチェックを入れて、普段は見えない状態にする。ルーズリーフならバインダーから外されて保管用のファイルか何かに収納されるだろうし、それと同じ感覚だ。
それと上述の記事(背景説明編)内では「本になるくらいの長い文章を書くために使うことは想定していない」と書いたが、諸々の工夫によってむしろ長い文章が書きやすくなった。実際に本の執筆を試みたわけではないので使い勝手が本当のところどうなのかはまだわからないが、自分が打ち込んだテキストのビューはどうにでもしようがあるので、特別な機能を望まずただ書いていけばいいのなら普通に使えそうな感じがする。アウトライナーとしてより、テキストエディタとして便利になっている。
他のやり方として、本くらいの規模の場合にはアウトラインはDynalistに作り、本文をProtean Outlinerで書くというのも有り得る。章ごとなどで作ったカード群の本文部分について、任意のカードを任意の順番に並べてまとめてtxtファイルにするということをできるようにしているので(最近付けた機能)、Git管理も簡単である。作業は章ごとにカードを分けた形でやることになるが、出力するのは全部マージした状態のひとつのファイルであり、後から章分けを変えたせいでGitの追跡が混乱するといったこともない。
ツールを作った時点ではあくまでこれは「アウトライナー」だったので、長文を書く作業の場として活躍するとはあまり思っていなかった。
一方で、うまくいっていない面もある。元々は豆論文を書いたり読書メモを溜めたりできるようにしたかったはずなのだが、その用途ではいまいち捗らない。つまり「思索を深める」「考えのリンクを張り巡らす」といったことがいまひとつできていない。機能としてはそうできるようにしたつもりなのにもかかわらず。
各カード内でアウトラインの任意の行を「付箋」にして平面上で操作することができるようにしたり(≒こざね法)、カード自体を任意に平面に並べられるようにしたり(≒KJ法)、複数の粒度で紙片っぽくして扱えるように機能を実装してはいるのだが、それが存分に生かされているとは言い難い。機能自体に「なんか違う」と思っているわけではないし、使っているには使っているものの、「思索を深める場」としての自由自在な感じがない。
ひとつの要因としては、常に何かしらについて課題解決用ノートとして使っているから、ということが言えそうな気がする。「ゴールがあって、それに向けて考える」という種のことを常にやっている場なのである。その用途で使いやすいように画面はレイアウトされており、豆論文を書くということはその中ではイレギュラーな状態になってしまっている。
課題解決型の記述に於いては必要な機能が、豆論文を書くには別に要らなかったりするし、平面上の操作についても機能がついてはいるものの「オプション」という位置づけで、それをメインとして私自身が認識できない。つまり、兼ねてはいけないものを兼ねているということだろう。
となると、豆論文を練る場は別に必要だということになる。既存のツールを見渡すと、素晴らしいツールはたくさんあるが、いずれも私個人の感覚にはどこかしら合っていない部分がある。やはり作るしかないだろうと思う。
ということで、実はもうツールを作り始めていて基本的な機能を実装したところなのだが、それについてはまた後日書こうと思う。