ブログを書くことについて延々迷走している。迷走していない瞬間がないと言っても過言ではない。
と言っても私の場合は投稿をさっぱりしていないので(半年で二十本程度)、方向性の混乱が読み手に伝わっているわけではないだろう。方向性を感じるほど継続的に書いていないからだ。アウトプットに至る前の空間で迷走していて、書けないまま人知れずうろうろと彷徨っている。「作家になりたいと口では言っている人」のごとく、心が空回りするばかりで実績を構築できない。
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ブログを書くことについて延々迷走している。迷走していない瞬間がないと言っても過言ではない。
と言っても私の場合は投稿をさっぱりしていないので(半年で二十本程度)、方向性の混乱が読み手に伝わっているわけではないだろう。方向性を感じるほど継続的に書いていないからだ。アウトプットに至る前の空間で迷走していて、書けないまま人知れずうろうろと彷徨っている。「作家になりたいと口では言っている人」のごとく、心が空回りするばかりで実績を構築できない。
アウトライナーなどを用いてアウトライン形式で情報を取り回す時に行う作業をどう表現するか、というのはなかなか難しい問題である。
以下、内容の種類にかかわらずアウトラインの形をしている状態(親項目があり、その下にインデントされた子項目があるという形態)を「アウトライン」と表記する。
自分の関心の領域を示すためには名前があってほしいので、これまで「知的生産界隈」などという表現で自分の関心を説明していたが、正直なところ「知的生産」という言葉は自分には合っていないので、言い換えを試みたい。
先日、倉下忠憲さんとゲストのTak.さんのポッドキャスト、「うちあわせCast」の第七十八回を拝聴し、何かを書くにあたってその範囲を内容または形式・サイズで制限するということについて語られており、思ったことがあったので書いていこうと思う。
なお、『ライティングの哲学』はまだ読めていないので、ひょっとしたら答えが全部そこにあるのかもしれないけれど、自分で思いついたことを自分で書くことをとりあえず達成したいので、まず書くことにする。
今更ながら今年になってGitとGitHubを活用し始めました。
と言っても、プログラムを書く人間ではないので専らメモの管理である。メモとはつまり文字を使って書き留めた情報全般のことを指す。私の場合は今のところMarkdownファイルとtxtファイルがGitHubのリポジトリのほとんどを占めている。
④の「よん」と余談の「よ」がちょっと掛かっているかな、と思ったけどそうでもなかった。
さて、「発想を文脈から解放するには」という一連の話としてはとりあえず①の「元の文脈を保存する」、②③の「転用し得るフレーズを作る」というふたつの結論で完結しているのだが、余談があるのでついでに書いておきたい。
今回は、アイデアを元の文脈から切り離して別の文脈で活用するために必要な具体的な手順を考えてみる。
やることとしては、前回まとめたように「条件」+「現象または結論」という形にすることを目指していく。
叩き台は、この一連の記事冒頭で作った「始まった状態で始める」というフレーズである。
アイデアを元の文脈から切り離して別の文脈で活用するために必要な条件とは何か。
前回、そのひとつとして「元の文脈をきちんと保存すること」について書き、そのふたつめは「転用し得るフレーズを作ること」であるというところまで書いた。
ブログを書く上での地味な悩みとして、「導入をどうするか」というものがあり、ぬるっと入っていくうまい書き出しが思いつかなくてしばしばエンジンがかからず仕舞いになる。一ヶ月半ほどの空白ができた理由のひとつでもあるのだが、しばらく考えて今しがた出した結論は、「導入などない」である。
ということで、今回は「発想を、元の文脈から離れて使う」はどのような条件で可能になりそうかということを考えていく。より抽象的に言えば、文脈と連想についての思惟である。