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2024-02-14

ライフ・アウトライン日記: メソッドをなぞる効能

 ライフ・アウトラインを始めてちょっと経った。

 

 前に書いた通り、のらてつverの表記はこうなっている。

  • 日々=DO-DAYS(日々のDO)

  • 地図=DO-ALL(すべてのDO)

  • 内政=LIFE-BE(自分)

  • 外交=LIFE-AS(関係)

 今のところ「日々」と「地図」を往復している形で、「内政」と「外交」はまだあんまり取り組んでいないけれど、現時点ではこの形式に違和感はない。

 発想の転換があったかというと、大きな変化は特にない。というのは、元々Tak.さんが重視していらっしゃるのと似た観点でものを考えていたからで、それゆえ理解に苦戦することもないし、このアウトラインをすんなり始められた。

 重要なのは、そのように元々あった要素を、Tak.さん式のフレームに収めて扱うようになったということだ。適当な段ボール箱に突っ込んでいたものをちゃんとした棚に並べるようになったみたいな感覚だ。

 

 「日々(DO-DAYS)」は毎日日付の項目を作ってその下にやることやアイデア、所感などを記述していく形だが、この形式は過去に何度も試したことがあった。しかしいずれも長くて数ヶ月でやめてしまった。「地図(DO-ALL)」にしてもそうだ。そういうものは繰り返し作っているのだが、使用ツールの変更などによりやがて見なくなっていく。

 その時は何かのメソッドに従ったわけではなく「自分で思いついた」ことによって始めたものだったから、常に「もっと良い方法」を考え続けていた。根本的に違うやり方にした方がいいかもしれないという余地があったから、途中でやめてガラッと変えてしまうということになった。

 これまでと表面上はほぼ同じことをライフ・アウトラインとして今やっているのだが、心の持ちようは結構違っている。

 まず前提として「Tak.さんはこれでうまくいっている」ということがある。もちろん私とTak.さんは異なる人間なので「だから私もうまくいく」という話ではないのだが、自分の思いつきのやり方と比べると方法としての強度に安心感がある。「もしかしたら自分にとってベストではないかもしれないが、ある程度は有効なはずだ」という信頼がある。

 そして方法の解釈の道筋も違ってくる。自分の思いつきの場合はダイレクトに目的を達成しようとしてしまうが、人のメソッドをなぞる場合には提唱者の視点を想像して考えてみることができる。例えばTak.さんならこういうところに気をつけるに違いなく、そのための工夫としてここがこうなっているはずだ、的な見方で方法を注意深く咀嚼できるということだ。「敢えてやらないでいること」も含めて、コツとして提示されていることの背景を想像できる(想像しようと思える)。ただしこれは人となりを十分知っている場合に限られる感もあるし、単に「本屋でたまたま見かけたハウツー本」ではそのように読むことは難しいかもしれない。

 

 取り組む際に「とりあえずは忠実にやってみよう」という意識を持てることは大事なことだ。自分で考え出したものはあまりに有効性の保証が乏しいので、「とりあえず続けてみよう」と決めるのはなかなか難しい。実際は「なんでもいいからそのまま続ける」ということこそが重要で「どうやるか」は割と二の次だったりするのだが、より良い方法を探さずにいられない欲張りな人間にはそれが呆れるほど困難だ。

 自分で考えたものは続けにくいからといって、人のメソッドならなんでも続けられるというわけではない。自分にとってなんとなく「カッコつけてる」感があるものは大体無理が来る。憧れやコンプレックスに押されて背伸びをしているようじゃ疲れてしまう。もしカッコつけるのなら期間限定と割り切ってやった方が良い。

 その点、私にとってTak.さんのライフ・アウトラインは、「そもそもあったものを整えた」ようなところがあるので、背伸び感がないところがいい。

 

 忠実にやってみようという気持ちでやっているわけだが、それは完全に同じようにやるということではない。メソッドが実現せんとしていること(つまり提唱者の思想)を念頭に置きつつ、「ちょっと拡張する」ということは試みる。

 例えば「DO-DAYS」に関して言えば、Tak.さんのやり方ではアイデア類は「▼」を頭につけて記述なさっている。なるほどと思って私もそれをそのままやっている。加えて、「▲」という記号も使うことにした。こちらはアイデアではなく感想の類だ。後からものを書く時に引っ張り出したいようなものは「▼」をつけるが、そういう素材となるわけではないが自分のその日の行動と結びついているわけでもないものを「▲」をつけて書いている。たまたま読んで面白かったWeb記事も「▲」をつけてリンクを貼る。具体的な感想があればその下に何か書くけれど、何もなくとも「▲」がついていれば何かしら面白かったものだというのが自分でわかる*1

 その他にもちょっとしたカスタマイズはしている。しかしフォーマット化しないように気をつけている。なぜTak.さんのライフ・アウトラインはこうなっているのか、ということをよくよく考えることが、自分の中に生まれる「良いこと」面した規範性を撃退するひとつの有効な手立てとなっている。

 小規模の「自分なり」を少しだけ加えながら、今のところ「日々」と「地図」を自然に行ったり来たりできている。

 

 兎にも角にも「(過去に遡って振り返ることができる形で)継続する」が必要なことに於いて、最大の敵は己の中にある「もっと良い方法があるはず」「もっとピシッとしたらスマートになるはず」という欲だ。その欲に従って試行錯誤することは楽しいので一切封じるのが幸福なわけではないが、振り回されっぱなしでは後々困ることになる。

 とりあえず忠実にやってみよう、と思えるメソッドをなぞることは、自分のそういう欲が好き放題しないように大人しくさせておく効能があるようだ。これは自然体でやれるメソッドであることが肝要で、背伸びしようとしている時は「より背が高くなれそうな方法」を編み出そうとしてしまう。既に無理しているものを、己の欲が一層自分を苦しめることになる。背伸びが功を奏さないタイプの人は、自分の体温と同じ温度の方法論を選択するのが良いのだろう。

 


*1: 「▲」という記号は単体で見るとあまりポジティブなイメージがないが、ここでは「▼」が先にあってその対として使うものなので、ポジティブな内容を書いていても特に気にならない。「○」や「✕」などを使うとすればまた違ってくるだろう。