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2024-01-29

RPG的ライフ・アウトライン

 Dynalistにライフ・アウトラインを作ることにした。

 ライフ・アウトラインとは、Tak.さんが著書およびnoteの連載にて提案なさっている、アウトライナーを用いてライフ(生活と人生)を把握したり練ったり前進させたりするメソッドである(※個人的な解釈)。

 

 『アウトライン・プロセッシングLIFE』を読んだ時もnoteの「ライフ・アウトライン実践」を追っている間も、なるほどーと思いつつ、断片的にちょっと発想を借りるくらいできちんと全体をなぞることはしていなかった。

 色々考えていて、やっぱり一度インストールしてから話を始めようと思うに至り、今更ながらいちからやってみることにした。

 ということでDynalistにフォルダとドキュメントを作った。

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 いきなり全然違うやないかい、とライフ・アウトラインをご存知の方に怒られそうだが、自分に馴染む表現を使いたかったので自分仕様に言い換えることにした。

 それぞれ、

  • 私 =ライフ

  • 日々=DO-DAYS(日々のDO)

  • 地図=DO-ALL(すべてのDO)

  • 内政=LIFE-BE(自分)

  • 外交=LIFE-AS(関係)

となっている。ドキュメントの中身はTak.さんがお書きになっている通りにしていて、ノート欄にはTak.さんによる各アウトラインの説明書きをペーストしてある。★や▼といった記号もそのまま使っている。

 勝手に呼び替えているけれど、こういう表現の方がわかりやすいというような主張では全くない。私のここまでの人生と感性においては、こういう表現にするとそれぞれTak.さんが解説なさっている「DO-DAYS」「DO-ALL」「LIFE-BE」「LIFE-AS」のイメージを自分の頭に繋げやすいというだけなので、他の人にとってもそうであるとは思わない。

 

 「地図」ははじめ「総体」と書いていたが、「ALL」に引っ張られすぎていてあまりニュアンスを示せていないと思ったので、検討の結果「地図」になった。古い紙か羊皮紙に手書きしてあり普段は丸めて持ち歩いているような地図である。必要な情報や新たにわかったことは自分で書き入れるのだ。衛星写真的な地図ではない。

 また「内政」「外交」は政治的な言葉だが政治のニュアンスを含めたいという意図は全然ない。自分の個人的なこと(=内)と他者との関わり(=外)について考えていくとなった時に、かつて光栄の三國志シリーズにハマっていた私は「内と外と言えば内政と外交だな!」と思って、政治的どころかむしろ「身近な言葉」として採用した。私の中では子どもの頃にやったゲーム用語なのである。

 同じ発想で、Tak.さんのアウトライン・プロセッシング論に度々出てくる「未使用」はドラクエ流に「ふくろ」と書くことにした。キャラ一覧の一番下にあって、各キャラが現在装備・所持していないものが全部入っている宇宙的容量の謎の容れ物である。「てんくうのつるぎ」も「うまのふん」も一緒に入っているような雑多な感じは、ともすると規範意識に影響されがちなアウトライン使いを柔軟にしてくれるかもしれない。

 ゲームから言葉を拝借していることはもちろん自分でわかっていたけれど、こう並べて書いてみると急にRPG的世界観な感じがしてくる。アウトラインに対して楽しいとか楽しくないとかいうことは考えていなかったが、なんとなくわくわくしてくる感じがなくもない。

 

 ところでいずれの言葉も、それに伴うイメージのうち余計な部分はしれっと無視して、またその言葉では補いきれないイメージもしれっと補完して考えている。

 例えば「地図」は要素の位置が固定的なイメージがあり、アウトライン項目の入れ替え(ソーティング)のイメージなどはもたらさないが、まあどんな名前つけててもアウトラインだし、という前提が自分の中にあるので支障はきたさない。

 この無視と補完は、人それぞれの歴史が反映されるものだと思うので、ただ人の語彙を真似してもうまくいかないのだ。