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2024-01-21

じゆうちょうノート術(仮)

 こちらの記事を読みました。

 私のノートもまさにこんな感じになっています。

 かつてはテーマごとにノートを用意してということをやっていましたが、まともに継続できたためしがなく挫折感を増すばかりだったので、だんだんと一冊に統合するようになっていきました。一冊にまとめようと決めたというよりは、「必要になったら後でノートを作って転記しよう…」と思いながらとりあえず雑記帳に書いてそのままになっているという感じです。

 加えて私は無地にこだわっているので、自分のイメージに合った語彙を選択する意味でも「じゆうちょうノート術」と呼ぶことにします。メソッドとして形ができているわけではありませんから「じゆうちょうノート術(仮)」としておきましょう。

 

経緯

 私の場合の元ネタはバレットジャーナルです。バレットジャーナルそのものというよりは、バレットジャーナル界隈で常識になっていたことと言った方がいいかもしれません。もはや「バレット」は全然関係ないからです。

 ページまたは見開きごとにその都度役割を持たせ、冒頭のインデックスページに各ページの内容が何なのかを書いておく。と言っても、それだけならバレットジャーナル以前から普通にあったことでしょうし、インデックスページが備えられている大学ノートもあります。

 バレットジャーナル界隈で流行しているノート術のキモは「1冊のノートに多様なフォーマットが同居する」ことにあります。フューチャーログ、マンスリー、ウィクリー、トラッカー、ウィッシュリスト、各種の○○リスト、といった様々な役割のページのフォーマットを、それぞれの内容に合わせて自分で作るわけです。必然的に各ページは全然違う見た目になります。基本的には本来のバレットジャーナルのページの合間合間にこういった特別なページを必要に応じて作っていくので、互いに連続性を断ち切るような形でノートができていくことになります(几帳面な人はそうではないかもしれませんが)

 月末には翌月の分のフォーマットをきっちり作ったりしますが、前月までのフォーマットの具合を省みて改良していくことになるでしょうから、毎月全く同じ見た目にするとは限りません。最初は毎月作ろうと思っていたページや欄も、うまく働いていなければやがて除去されることになります*1。時間があれば凝ったものを作り多忙なら簡素になる、という変化もあり得ます。自分に必要なフォームとは何なのかを自問自答し続けるノート術と言えるでしょう。

 とはいえ私の場合は、フォーマットを作るために行を数えたり線を引いたりする手間を費やすのが無理になってきて、バレットジャーナル界隈で定番になっているような方式のノート作りは途中で(割と早いうちに)やめてしまいました。しかしながらそういったノートの使い方の精神は私の中に残りました。

 奥野宣之著『情報は1冊のノートにまとめなさい』やモレスキンブーム、ほぼ日手帳ブームなどの影響も受けてはいますが、それらを直に取り込んだというよりは、バレットジャーナル界隈に染まった後に紆余曲折を経て最終的にそれらと同じ形になったと言った方が良さそうです。全てのものをタイムライン式で一冊に書き込んでいくという発想より、見開きごとに色々な要素があって良いという発想の方が私に強い影響をもたらしました。

 

インデックス

 先ほど「冒頭のインデックスページ」と書きましたが、倉下さんの記事では以下のように語られています。

まずノートは、先頭のページから書き込んでいきます。よくある使い方として先頭の数ページを『目次用』として空けておく使い方がありますが、それをしないわけです。
目次ページを作っておくと利便性が上がるのですが、その代わり「きちんと書いていかないと」という気持ちも同時に高まります。

 これは私もそう思います。私の使い方としては、単純な話、見開き単位にすると先頭の1ページが余るので、じゃあそこにノートの中身を書いておくか、という感じです。目次のために取っておいたのではなく、使わない場所なので目次にでもしよう、という順番です。

 具体的にはこのように目次を作っています。(これはサンプル用に作った目次ですが実際にこのようなページがどこかにはあります。)

画像

 このノートはA4のコピー用紙15枚を折って留めただけのもので、見開きが29あります。A5縦の長さはやや小さめの字で書けばちょうど30行くらい書けるので(1行7mm)、目次は1ページに収まります。縦に薄く線が引いてあり、左半分が左ページ、右半分が右ページの内容です。見開きを単位としつつ、左右で別の内容があっても構わないようにしています。

 ただのコピー用紙なので見ての通り罫線がありません。多分そのことが要因として大きいのですが、このノートには全然「きちんと書いていかないと」感が発生しません。以前普通に罫線があるノートにインデックスページを作った時は「今このノートに何があるのか」が妙に気になっていました。倉下さんのご指摘の通りです。

 今のところ、このインデックスはノートを半分くらい使ったあたりに「そろそろ書いとくかあ」と思って振り返って書き始めることが多いです。欄自体はノートを作った時点で準備しますが、しばらくそのまま放置しています。一方できちんと罫線があるノートに書いていた時は、新たなページに進むごとにきっちりインデックスを更新していました。そうすることで少しでも達成感を得て自分を慰めようとしていたのだと思いますが、長期的に見るとそれは私にとってプラスには働いていなかったようです。

 ちなみに、見開き単位でいくと最後の1ページもあぶれます。これをどうしているかというと、どうもしていません。白いままです。書かないと決めているわけではないので気が向いたら何か書くでしょうが、埋める必要もないので特に気が向かなければそのまま次のノートに移ります。昔はそこに、そのノートについての振り返りや次以降も引き続き考えたいことを書いたりしていました。

 

内容

 書いている内容は色々です。とにかくノートをテーマごとに分けようとしないことを重要視しています。

 例えば読書ノートの取り方に思いを巡らせてみたりすると、一念発起して専用ノートを用意してびしっといい感じに書き込んでいきたくなるのですが、そう思った時は「血迷うな!」と自分を止めます。

 もちろん専用ノートを作れた方が、情報を探しやすくまた見た目も良くて理想的です。そうできる人はそうした方がきっと良いと思います。しかし私はそれをやりだすと絶対に挫折するので(幾度となく挫折してきたので)、そういう身の丈に合わない欲を出してはならぬと戒めています。それでも時たま「やっぱりこれは分けた方が…」と思ってノートを作って案の定失敗するのです。

 ちなみに読書ノートのページは写真を撮ってパソコンやスマホで見られるようにしています。ノートの全ページをデジタル化できたらそれが良いのですが、実際に必要を感じるのは読書ノート部分だけなので、手間を考えてとりあえず写真を撮るのはそれだけに限っています。

 また、後から参照する種の情報はバイブルサイズのシステム手帳に転記しています。

 

実態

 じゃあ毎日活発に使っているのかというと、毎日何かしら書いている時期と全然書いていない時期とが交互にあるという感じです。

 以前なら「書いていない」ということの原因はノートの使い方にあることが多かったのですが、最近要因になっているのはデジタルツールとの兼ね合いで、単純に紙を使う気分になっていないから使っていないというパターンがほとんどです。使わないでいると使い方がわからなくなってくるので、再開には自問自答が必要になったりします。

 

 アナログツールとしては今のところ、このガワも中身もテキトーな作りのノートとシステム手帳の二つを使っています(後はスクラップ用のリングノートがあります)。過去に作ったノートはハードカバーやらダブルリングやらバインダーやら形態もサイズも色々ですが、結局一番有効に使えているのが「コピー用紙を折って留めただけ」のものなので、この先もこのテキトーノートを使い続けるでしょう。現時点で20冊以上使っていると思います。

 このノート術(仮)については書こうと思えば書けることがまだあるので、シリーズ的にちょこちょこ書いていこうかと思います。

 

関連


*1: 没にしたページに大きくバツ印を書いている人も見かけたことがあります。そして何事もなかったかのように次のページは作られていきます。