先日、紙のノートについて考え直したということを書いた。
どうせなので、具体的にどんなノートに何を書いたのかをまとめておこうと思う。
ノートを作る
普段考え事をするノートは、基本的に自作のものを使っている。A5サイズの表紙になる丈夫な紙を紙箱や紙袋を切るか何かして用意し、A4の500枚入りコピー用紙から15枚を取って半分に折り、芯の向きを変えられるホチキス(百均にある)で折り目を二箇所ガチャガチャと留めるだけだ。これでA5の無地30枚(60ページ)のノートの出来上がり。
他のサイズで作ったり綴じノートではなくリフィルにしたりということもあったわけだが、今まで一番多く作ったのはこのA4紙を折って留めたA5ノートだ。
ただ折っただけのため小口がぴしっと揃わないので、親指をかけてパラパラめくるのは少しやりにくい。ただまあ何百ページもある本とは違ってたった30枚しかないので、一枚ずつめくっていっても特に支障は感じない。
テキトーに作るものなのであまり美しくはない。しかしその分、雑に書いても罪悪感がないので、考え事やちょっとしたメモにはこの程度で良いと感じる。チラシの裏や反故を使うよりは綺麗である。個人的に罫線はない方が良いこともあり、妥協しているというよりは「これがいい」と思っている。
ノート自体はそんなもんで構わないのだが、筆記具の方はちょっと気をつけている。はっきり書けるもの、インク溜まりができないもの、自分の感覚に馴染む色のものを選ぶ。時々シャーペンや鉛筆で書いてしまうことがあるのだが、何Bかのはっきり濃いものでないと後から苛々することになる。
墨(または墨っぽいインク)なら見やすいので筆ペンで書くこともある。ただ最近はやや暗めの青の油性ボールペンがマイブームだ。軸が金属のしっかりした作りのものである。
強調をする時などは、あかあおえんぴつ(実際には朱と紺)や黄色の色鉛筆を使っている。単に、既に持っていて他に使い道もないから使っているというだけのことだったが、これに慣れるとマーカーを使う気にはならなくなってきた。
考えたこと
紙のノートがうまく使えていないなーと思ったので、そのことについてこの自作ノートに書いて考えた。実際に作った見出し(1ページまたは見開きに対するタイトル)は以下の通り。
- 紙のノートがいまいち使えていない問題
- 雑学ノート・調べ物ノートが続かない問題(※別なノートを次々新たに作ってしまうという意味)
- 本当にノートを1冊にまとめたいか?
- 自分の財産になるノートとは
- 納得感のない過去のノート・メモはどうする?
- 「ノートのノート」を考える
- スクラップブックが必要(※前にやっていたのを再開したいという意味)
- 「神様ノート」(※「神様ファイル」のノート版という意味)
- 読書がはかどるノートを考える
つまり九つのテーマを設けて考えてみたことになる。
各テーマに対して、①何を理想だと思っているのか、②現在の心境はどうなのか、③理想と現実の乖離の原因は何か、④思いついたアイデアは何か、といったことを考えて書いている。そういう欄を作っているとかではなく、そういうものが含まれるように少し意識しながらフリーライティングした。
いずれも青インクのボールペンで思いつくことをどんどん書き、違う観点の話が並んだような部分にはあかあおえんぴつの朱ですっと境界線を引いたり、キーワードがあれば朱または紺で囲んだり、「これなんだよなあ」的な記述には紺で波線を引いて強調したりした。ルールはなく(設けないようにしている)、気分でやったらそうなった。
うまく使えていないことをうまく使って書いている件
なんとなくお気づきのことと思うが、ノートをうまく使うというのは多分こういうことをすることであって、うまく使えているじゃんという話である。
今回やったことというのは、紙のノートが使えていないと感じていたからノートの新しいページの上に日付をつけて「紙のノートがいまいち使えていない問題」と書き、上述の①~④を含むようなフリーライティングをしたということだけだ。そして「あれも考えなきゃ」と思って次の見開きに「雑学ノート・調べ物ノートが続かない問題」と書いてまた考える。それを繰り返して九つのことを考えて、おおよそすっきりした。
書く過程自体には別に迷いはなく、考えたいことを設定して考えたことを書く、ということをただやっていった。
つまり「使えていない」という問題は「使えない」のではなく「使っていない」ことにあったのであり、各テーマを通じて、「使っていない」を引き起こす「使いたくない」の原因を探っていった。(そう意図したわけではないが、ノートに書かれたのは結果的にそういう内容になった。)
何をどう書いたらいいのか的な問題はそもそも抱えていなかった。最近は、ノートをアクティブに使えていないなと思ってノート術を探してみてもいまいち心躍らないでいたのだが、それはつまり「問題はそこじゃない」からだったのだと思う。
肝心なのは「私は何が嫌でこうなっているのか」であり、それは誰も教えてくれない。自分で自分に問うしかないが、往々にして自問に答えるのは下手なので、何度も問うことになるのが常である。
私としても今回のような内容を初めて自分に問うたわけではない。しかしこれまでは答えがピンぼけだったので問題は継続してしまった。一方今回は回答者が少しレベルアップしていたようだ。