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2023-09-17

システム手帳と過ごした日々

 前回の記事(ノートツール環境スナップショット(2023/09))で、常に開いているものとしてシステム手帳と書いたが、今まであまりシステム手帳について書いたことがないし、自分でなんだか唐突な感じがした。この機会にちょっと書いてみてもいいかと思って書いてみる。


 今使っているシステム手帳との付き合いは長い。子どもの頃に父親からもらった(強奪したような気もする)のをずっと持っている。ENXSの塩ビ製?のシンプルなもので、軽くて薄くて丈夫である。色も落ち着いていて気に入っている。見た目はまだ綺麗で、誇張でなしに新品とそう変わらない。逆に、革製でないから味が出てくるという感じでもない。

 付き合いは長いが、使いこなせていたかというと全然である。ずっと使えるなら使いたいと思って何かしら使ってはいたが、さっぱり納得できたためしがなかった。


子どもの頃

 この手帳を手にしたのは小学校の中学年くらいだったのではないかと思うが、しばらくはただこれを持っているということに満足していたと思う。何を綴じていたかは覚えていない。父親が持っていたバイブルサイズ用の6穴パンチを面白がって色々穴を開けていたような記憶はぼんやりとあるが、実物は残っていないから確かめる術がない。とりあえず当時は「手帳を使う」という格好ではなく、遊び道具の一つに過ぎなかった。

 中学校の頃に、学校で習ったことをリフィルに書いて綴じていた。当時のことを覚えているわけではないのだが、そのリフィルの現物はあるので、そうやって使っていたのだということが確認できる。でも気まぐれにちょっとやっただけで、必要な内容を網羅できているわけではないし、そんなに繰り返し見たような覚えはない。

 高校でも一年のうちは同じ気まぐれでちょっと使って、今数えたところ中高併せて64枚のリフィルを勉強のために使っていたらしい。微妙な量である。思ったより活用していたが、勉強のためとしては全く十分ではない。中学高校の学校の勉強にバイブルサイズのシステム手帳を使っていた、というのはちょっと特異な経験かなとは思うが、そのおかげで勉強が捗って捗ってという輝かしいエピソードは残念ながら伴っていない。


B5紙とバイブルサイズ

 その後も野良猫との交流のような付かず離れずの状態が続いた。十歳にもならないくらいからずっと持っているにもかかわらず、一向に仲良くなっていかない。しかしいつもすぐ手に取れるところに置いていて、何かに使えないだろうかと思い続けていた。

 何度か自分の中でブームがあった。最も活発に使っていたのは2015~2017年のことで、有効に使えている感覚が強かったのは読書メモとしての活用だ。しかし既製のリフィルだとちょっと紙のサイズが小さいので、もう少し大きい紙を畳んで使うということをしていた。具体的には主にB5紙だ。

 B5紙を横長に置いて、上辺か下辺を1センチほど切り落とすと、ちょうどバイブルサイズの縦の長さになる。そして端にパンチで穴をあけ、穴の部分を避けて三つ折りに畳むとちょうど横の長さになる。なので、B5紙を切って端にパンチで穴をあけて三つ折りにして綴じる、ということを結構やっていた。書く時は手帳から外して書く。

 日誌として使っていた時期もあった。バレットジャーナルが自分の中で影響力を強めていた時期だったので、トラッカーを作りたいと思い、わざわざルーズリーフの穴部分をカットして、上か下の部分に穴を開けて綴じたりしていた。B5のルーズリーフはA罫ならちょうど31行で、ひと月の記録がしやすいからだ。

(これは専用パンチではなく30穴の穴あけパンチを使ってあけたもの)


 この工夫は悪くなかったが、ずっとこれを続けられたわけではなかった。一番の問題は、綴じられるリフィルの枚数の問題だ。きちんとしたシステム手帳用の紙は相当薄く作られているが、コピー用紙やルーズリーフを使ってしまうと厚みですぐいっぱいになる。そもそも、たとえ正規の薄い紙だけを使っていたとしても限界はある。綴じにくくなったら外して別の方法で保存しなければならない。

 外したものはカードリングでまとめていたが、やはりバインダーに綴じるのとは違って不安定なところがあり、ぱっと手にとってさっと戻すというようなことがしにくい。そうなると参照頻度がどうしても下がっていく。あまり現実的な使い方ではないなと思って、やがてやめてしまった。


その後

 直近五年くらいは、リフィルの枚数の変動があるような使い方、つまりノート的な使い方をしちゃいかんと思い、本来の手帳的な役目を担っていた。ただしスケジュールは別のものでやっていたので、基本的に「手帳の付録」的な情報や個人情報の管理に使っていた。

 まあ、可もなく不可もなく、という感じで、いつも欠かさず持って歩いてはいたが「これがなくては生きていけない」というほどの愛着は感じていなかった。逆に、他のあらゆるノートや手帳よりずっと長く共にしていて、実際にほぼ毎日持って歩いているのにもかかわらず、それで納得感がないというのはなんなのか。


 やがて、根本的なひとつの問題に気がついた。


 このリフィルの縦横比嫌いだ!!!


 次回に続く。