ずっと前から恒例のことなのだが、何かのツールについて「使っていない」と書くと間もなく使い始め、「使っている」と書くと使わなくなっていく。
なのでつい先日書いた ノートツール環境スナップショット(2023/09) の状況から既に変わりつつある。
具体的には、Dynalistをあまり使っていないと書いたのでDynalistが復活し、逆にNotionとOneNoteは開く頻度がやや低下している。(他のアプリケーションは状態を維持。)
Notionでやろうとしていたことの一部がDynalistに移動し、OneNoteでやろうとしていたことはTextManager(自作ツール)に移りつつある。
天の邪鬼?
自分はどうしても自分の決めたことと逆を行きたいらしい――というのはおそらく間違った解釈である。私はなんて天の邪鬼なんだ!とか思っていないで、何が起きているのかを淡々と見つめることにする。
自分の脳は別に「逆」をやりたいわけではないと思う。じゃあ何なのかと言うと、たぶん、単に新たな道を見出そうとしているだけなのだ。
「道を見出していない」と思うと、「いや、実は道はあるんじゃないか」と考え始める。逆に「道を見出した」と思うと、安心してそれを「済んだこと」にしてしまい、別のことを考え始めてしまうのである。
血流
自分が何に対してどの程度活発に思考を巡らすかというのを、私は日頃「血流」でたとえて考えている。放っておくと血流は滞っていくが、「使えていない」とか「考えたことがない」といった自覚を持つとそこに血が巡りだす。
すると、ついさっきまで何も思いついていなかったのに、急にアイデアが浮かんだりする。新しいアイデアというのはとても良いものに思えるので、じゃあ試してみようとなる。そうしてあっちにふらふら、こっちにふらふらということになっていく。
血流は常に全体に全力で巡らせられるわけではないので、どこかが活性化すればどこかが停滞する。新しい領域あるいは滞っていた領域にどわーっと流れ込む時、その直前まで血流が豊かだったところの流量が減じてしまう場合がある。血流を滞らせてはならないと感じている箇所は減らないが、瞬間的にわーっと活発になったようなところは引く時もあっという間である。
振り回される度合いの変化
この性質は困ったものだし、ずっと振り回され続けているのだが、しかし現在の状況については冒頭で丸括弧内に補足した「他のアプリケーションは状態を維持」の部分が重要だ。昔はメインで使っているツールごとあっちこっちにふらふらしていたから本当にその後が大変になったが、今は不動の領域があるので混乱は少なく済んでいる。
ツールのことも自分のことも全然わからなかった若かりし頃は、誰かが何か言ったり自分が何かに気づいたりする度にわーっと右に揺れ左に揺れを繰り返した。まあ多分、仕方のないことだったのだと思う。
今不動だと思っているものがいつふらっと揺れるかはわからないが、前よりは「揺れた後」のことを考えるようになったので、その意味でも安定はしてきているとは思う。
色々と悟ることによって、振れ幅が大勢に影響のない範囲に収まり、ただ新たな道の模索を楽しむ趣味として落ち着いていけばいいと思う。