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2021-06-24

発想を文脈から解放するには②~トリガーとアクション~

 アイデアを元の文脈から切り離して別の文脈で活用するために必要な条件とは何か。

 前回、そのひとつとして「元の文脈をきちんと保存すること」について書き、そのふたつめは「転用し得るフレーズを作ること」であるというところまで書いた。

    発想を文脈から解放するには①~実はみんないつもやっている~


 アイデアの核らしきものを短いフレーズにする、というのは昔から私もしばしばやっていたことである。メタファーを使ったり、格言めいた鋭い言い回しにまとめたり、逆に様々なものを包括するように抽象化したり、いろいろとフレーズを作ってきた。

 さて、それらは今でも私の中で力を持っているだろうか。そう自分に問うと、ほとんどが思い出すことすらできないほどに風化していることに気がつく。フレーズ自体を忘れているし、メモを見直しても一体何がそんなに感動的だったのかもはやわからない。そのように風化してしまったものについては、もうその発想の煌めきは一生取り戻すことができないであろう。

 どうして風化してしまったのだろうか。閃き自体が結局大したことのないものだったのだろうか?

 いや、そうではないだろう。まず「大したことのない閃き」という判定の有効性自体が疑わしく思えるし(年月が経ってから意外な形で掘り返されることはいくらでもある)、「そもそも大したことがなかった」というより、「有効に使うことがついぞできなかった」のほうがあり得るように感じられる。せっかく生まれた発想を自分で死なせただけのことかもしれない。

 私自身の経験上、風化に繋がりやすいのは形容型・説明型のフレーズである。○○とは△△ということだったのだー的なものは、余程それが自分の核に近いものでない限りは意外なほどあっさりと意識から失われていく。「□□的××」というような言い回しも同様である。それを言い表した当時は「□□的」と表現することで他との明確な差別化がなされていたはずだが、それが絶対的な形容でない場合、何と比べてどういう相対的特徴があったのかは忘れてしまうし、そのような相対的なフレーズは当然ながら永遠に残せるものではない。気に入ってしつこく使うのならば別だが、そうできるのはアイデア全体に対してごく少数に留まるだろう。


 では、有効に使うことができないとはつまりどういうことか。思いついたときは何らかの意味で真理に近づいた気がしたのに、それをその後使えなかったのはなぜだろうか。

 正確に言うならば、「使おうとしなければ使えない発想に留まったのはなぜか」と考えるべきかもしれない。実際にとても良い閃きだったのに、繰り返し使う機会を設けられなかったためにいつしかその感触を永久に失ってしまった、ということが多々発生しているように思えてならない。よって、できる限り自然に、そして自動的に「つまりあれだよ」と引っ張り出して使える状態であってほしい。

 すなわち、使うためには、使えるフレーズでなければならない。当たり前のことを言っているようだが、私はそのことに長らく思い至らなかった。うまく言い表せたような気分で満足してしまって、それを用いるということを考えていなかったのである。

 何かの言い回しを使いたくなるとき、それは何かトリガーがあって、「ああ、これはあれだ」と思い出す、というパターンが多いように思う。「あれ」を思い出すことによって、その場のわからなさを解消して既知のものにするのである。

 簡略化すると、「AのときB」「AならばB」といったことである。Aという条件のとき、Bという現象がある或いはBという結論を出す、という形のフレーズであると言える。

 好例として、「違和感駆動」という言葉が思い浮かぶ(私は倉下忠憲さんがお書きになっていて知ったが、ネット上で見つけられる初出はこちらだろうか)。大本のイメージはイベント駆動型プログラミングなどだろうかと思うが、敢えて文章として読めば「違和感があるとき、駆動する」「違和感によって、駆動する」というふうに補って読めそうである。プログラム的には「違和感をトリガーとして、駆動が起こるor起こす」ということであろう。これは「駆動に繋がる違和感」を感じ取るたびに使い回すことができるフレーズである。自分の次のアクションを示すものであるということが、活用可能性を高めるポイントと言える。

 また、巷でしばしば使われるフレーズとして「○○アレルギー」「○○恐怖症」といったものがある。これは個人の内面を示すという用途に限られているが、「○○が自分の生活に接触した時、自分にネガティブな反射が起こる」ということを端的に表現していて、幾度も使い回されることになる。使っているうちにより限定的で正確な範囲を掴んで「○○」の部分が変化していくかもしれないし、もしそのような変化が起きたとすれば、それはその発想をよく活用できていることのしるしであるように思う。(一方で範囲が拡大していくのは思考停止の現れかもしれないが、その話はここでは置いておく。)

 これらは名詞のフレーズだが、動詞で終わる短文でもよい。「犯人は現場に戻る」とか「善は急げ」とか、よく使われるフレーズのうち具体的なアクションを導くタイプの言い回しはこういった形が多くある。ある程度一般化し得るトリガーと、それによって生じること、またはそれをきっかけにすること、をセットにするのが肝である。


 ちなみに、前回「始まった状態で始める」というフレーズを考えた。これはこれで転用可能性はゼロではないが、なんとなく今ひとつな気配が漂っている。自分のアクションを示しているので「用いる」ということは可能だが、トリガーが示されていないため然るべきタイミングで思い出さない可能性が高い。

 それではこのフレーズはどうすれば繰り返し使えるものになるだろうか、という検討を次の記事で試みたいと思う。