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2021-09-20

アウトライナー日誌:アウトライナーとは何型のメモなのか

  アウトライナーなどを用いてアウトライン形式で情報を取り回す時に行う作業をどう表現するか、というのはなかなか難しい問題である。

 以下、内容の種類にかかわらずアウトラインの形をしている状態(親項目があり、その下にインデントされた子項目があるという形態)を「アウトライン」と表記する。


 なぜ難しいのかと言えば、ひとつにはメタファーとして示せるものがないからだろう。

 強いて言えば、入れ替えの作業に限っては、本棚や冷蔵庫、日用品用の棚に、ブックエンドや容器を適宜活用しながら物を配置していくことが近い。どれとどれが仲間で、どの位置関係にあるのが自分の中で収まりが良いのかを探っていく作業であり、そこに正解というものはない。
 自分の美意識に対する理解が深まっていけば配置の必然性は高まっていくだろうが、少なくとも他人に同じように通用するものではないし、「絶対にこれしかありえない」と自分で納得するに至るには相当な年月を自己対話に費やす必要があるだろう。

 しかも、アウトラインに書いていくということは、どこかから買ってきた物(仕入れた知識)を並べるだけでなく、並べるコンテンツ自体を自分で次々生み出していくことになる。市販の物にはある程度規格というものがあるが、自分に絡む情報や発想はその多くが不定型である。情報に規格を作ることは不可能ではないが、それをやりだすと発想は硬直的になり、もし自分を自由にしたいのなら足枷になりかねない。


 とりあえずメタファーをひねり出そうとしてみたが、そもそもこのように物を並べ替えるイメージというのには、アウトライナーの使い方を言い表すものとして根本的な問題があるように思える。

 まずアウトラインというのはそれが目的ではないということである。物の配置についてもそれが家なのか仕事場なのか倉庫なのか美術館なのかで話は変わってくるが、少なくともアウトラインの操作は倉庫や美術館的な物の配置のイメージには当てはまらない。内容が最善の形で配置されることがゴールではなく、それによって自分がどう活動できるかが問題なのである。
 タスク管理ならば結局自分がどうタスクを処理できるかであり、執筆ならば結局自分がどう文章を書けるかである。アウトラインをどう作っても、本来の目的の達成に貢献しなければ意味がないし、目的が達成されるならアウトラインは中途半端でも構わない。


 こう考えると「中途半端でも構わない」ということは半ば当たり前のことのような気がしてくるが、しかし実際にはそのようには思いにくい。

 その理由は様々あるかもしれないが、個人的には「アウトライナー」という名称が邪魔をしているという感触がある。なぜなら過程でしかないものを対象とした名称になっており、且つ「アウトライン」というもの自体が曖昧だからである。日本語で描写されておらず英語に頼っていることも私の中では直感的理解を妨げる一因になっている。

 一方でこの種のツールについて明らかなのは、「親項目があり、その下にインデントされた子項目がある」という見た目である。プロセス型でもプロダクト型でもそれは同じと言えよう。
 なお、畳めるかどうかやズームできるかどうかは、機能の重要性としては非常に大きな意味があるが、アウトラインの要件としては必須ではなく(そもそも紙に書かれたアウトラインは畳めないしズームできない)、アウトライナーとしても定義をなすものではないだろう。


 ところで、昨今スマホ用のメモアプリは数え切れないほど開発されている。カテゴリとしては「メモアプリ」であって、それぞれの特徴は「○○型」を頭につけて形容されることが多い。たとえば「タブ型メモ」「フォルダ型メモ」「階層型メモ」といった名称をしばしば見かける。

 これらは見た目を表現したものであり、見た目を表現するということは必然的に機能を説明していることにもなるが、一方で目的については何も示していない。その形のメモを使って何をするかはユーザー次第である。なお、「メモ」と言うからには何かのための途中段階であるということをほとんど当たり前に感じられることがひとつ重要な点かもしれない。


 アウトライナーというツールを使って項目を編集し操作していくことを「要するに細かいメモを作って動かしているのだ」と言ってしまって良いかどうかはまだ判断しかねるところだが、そういうツールであると言えるとするならば、「○○型メモ」という名称を捻り出すことによってアウトライナーなるもののわからなさが多少軽減されるのではないかという淡い期待を私はこっそり抱いている。

 しかしながら、それならばこれをどういう形であると表現すればよいか、ということにはまだ悩んでおり、それはきっと他にもたくさんの人が悩み続けていることだろうと推測している。結論は未だ出ない。