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2021-04-05

アウトライナー日誌:「設計図」または「説明図」という意識を持ってみた

 「アウトライナーの使い方ド下手問題」を締めてから、どういう括り方で書いていこうかと考えていたのだが、私にはやはり人様への提案ではなく自分のトライアル・アンド・エラーの吐露が合っていそうである。
 よって、今後は「アウトライナー日誌」というシリーズで書いていくことにした。うまくいっているかもしれないし、いっていないかもしれないが、誰かの何かの参考になれば幸いである。

 さて、今回は「アウトライナーを何のために使うのか」という話である。


 もちろん何に使ってもいいのだし、他の人の使い方に対して何か言いたいのではない。
 ただ、自分がアウトライナーを使うにあたって混乱を回避するためには、ひとまず用途を明確にしたほうがよいだろうと考えた。すべてを突っ込んで目玉ぐるぐる大パニックという事態はすっかり過去のものにしてしまいたい(ド下手問題④参照)。

 扱いたい情報というのは様々あるが、リストを作る類のものはとりあえずアウトライナーでなくてもいい。ログの類は常に記録場所を一瞬で開けるようでないと継続できないから、極力他の用途と兼ねない場所にしたい。思いつきの類はアウトライナーに置くと構造化できないまま溜まっていったときに気持ち悪くなりがちである(ド下手問題①参照)。
 そう考えて、やはり第一の用途として考えたいのは「意味内容の構造化」をすることである。つまり、自分の思索を組み上げていったり、自分以外の存在について解き明かしたりするためにアウトライナーを使うということだ。

 ド下手問題⑤にて、文章を綴る、あるいは読むためのものとして、「事前アウトライン」と「事後アウトライン」と名付けた二種類のアウトラインについて語った。
 今回は、文章に留まらずもう一歩広い範囲を対象として考えたいと思う。

 といっても、考えるべきことはほとんど変わらない。まだ存在していない何かを作り上げるために作るアウトラインと、既に存在している何かについて自分または他者に理解を促すために作るアウトラインということである。この場合前者には「設計図」、後者には「説明図」のイメージを当てはめることができるだろう。
 基本的に文字で構成されているものであるから「設計書」「説明書」と書いたほうが正確かとも思ったが、アウトライナーでやることは「文章化」の手前とその先の段階であるから、「書」というよりは、構造に視覚的効果があることも含めて「図」としておくことにした。

 文章なので淡々と書いているが、ここで「よし、アウトライナーは設計図と説明図のために使おう!」という意識が生まれているわけである。


 さて、設計図や説明図として使うという意味をもう少し掘り下げよう。

 設計図としてのアウトラインとは、つまりプランニングの場ということである。ド下手問題⑤で書いたように「文章をどう書いていくか」ということも含まれるし、プロジェクトの計画を立てていくこともそうだし、ツールの使い方の検証もそうだし、今日一日をどう過ごすかの検討もそうである。

 含まれる内容としては、

  • 最終的に何が達成されるべきか?
  • それについて今どの程度達成するか?
  • そのためにはどういう手順が必要か?
  • 実際に私がすることは具体的に何か?

 といったこと(見栄え良く抽象化すると逆に私はわからなくなるのでこう書いた)が整理されることを念頭に置きながら、形式には囚われずに自由に書いていくものである。

 なお、ここで削ぎ落としてはならないのは自分の「気持ち」である。最近は思索をまとめるにもまず「気持ち」「前提」「経緯」といった欄を作るようにしているが、私自身のベクトルの記録というのはいつも忘れられがちだった(ド下手問題①参照)。

 一方で、事実と気持ちと計画とがあまりにもごちゃごちゃと混じるとアウトラインは秩序を失い、思考をクリアにすることに貢献しなくなるだろう。自由と混沌は区別される必要がある。気持ちの記録用の見出しを用意する、色を変える、記号をつけるなどの工夫で「これは気持ちである」とわかるようにすると良いかもしれない。
 とはいえ、アウトラインの規模が然程大きくないとか、文体で区別がつけばそれでわかるとか、とにかく自分が必要と感じなければわざわざ違いを強調することはない(私も混在していたり分けたりしているし、どちらかというと混在している方が多い)。
 ちなみに、アウトライナーで一日の過ごし方のプランニングをすることについては、「気持ち」を織り交ぜるという点で、piece 0:アウトライナーとデイリータスクリスト|Tak. (Word Piece)|noteから始まるTak.さんの連載が大変に参考になったので、そちらを是非ご参照いただきたい。

 設計図的要素のうち、実際に私がアウトライナーで行っているのは「ブログ記事執筆のプランニング」である。「Blog」というファイル(あるいは上位項目)にテーマやアイデアを並べ、ズームして作業している。


 実際にはこんな感じである(使用ツールはTransno)。
 (別に隠すほどのものはないのだが、なんとなく未確定のものを出すのは憚られたので一部塗りつぶした。)
 また、このアウトラインを使い始めたのは比較的最近のため、アイデアの多くはまだ別の場所にある。それらをもし全部ここに移したとすれば不本意な混沌が生じるかもしれず、そうなった場合にはどうするか、あるいは量を増やしても混沌にはならないのか、といったことはそのうち考えていきたい。

 記事執筆以外の設計図的要素は、それもアウトラインの形で整理しているが、場所としてはアウトライナーではなくmarkdown管理のObsidianに置いている。
 資料やログと直接リンクしたいという要求が生まれるものはアウトライナーだとやりにくさを感じるので、ScrapboxやObsidianのようなツールが便利である。Scrapboxはサーバーに障害があったりインターネットに繋がらない環境になったりすると開けないので、そうなると困る度合いが高い種類のものはObsidianのようにファイルをローカルで管理するツールだと安心感がある。
 アウトラインとしての見た目と機能性はやはりアウトライナーが強いと感じているので、集中が必要な文章作成に於いてはアウトライナーを使ったほうが捗っている。


 次は説明図の方だが、説明図としてのアウトラインとはつまり、「これは何か」の解説または読解である。自分が作ったものを誰かに解説するためのものと、誰かが作ったものを自分が理解すべく読み解いていくためのものを併せている。
 本や記事の見出しとまとめ、ツールの仕様の整理、調べ物のノートなどが含まれる。また、議事録や週次レビュー(週ごとの自分の生活の振り返り)などもここに分類される。

 人に見せるものでないなら、どう作るべきかというのはあまり難しく考えなくてよいだろう。必要な情報を書いて自分の感覚に合うように動かしていけばいいし、自分のためのメモならそもそもそんなにきっちり構造化しなくともメモとしての役目は果たすので、神経質になる必要はない気がしている。
 例えば紙にメモを取った場合には当然構造化ということはそうそうされないが、大体は書いてさえあれば事足り、美しく構造化されていないせいで困ることはあまりない。どうしても手本がほしいなら本やWikipediaや解説系ブログ記事の構造などを参考にすれば良いだろう。
 しかし構造化したい時に自由に構造化できることは非常に重要なことなので、構造化しなくてもどうにかなるからアウトライナーの必要はないという話にはならない。

 重要なのはアウトラインの形式ではなく、「説明図を作る」という心がけである。
 本を読んだら、目次を写すなどしながら読書メモを取って残す。ツールを使い始めたら、それでできること、できないこと、ホットキーなどを整理する。話し合いをしたら、誰が何を言って結局どうなったのか記録する。一週間生きたら、自分の生活がどういうものであって気分はどうであるかを書き残す。
 記事を書いたら、どういう構造なのか人にわかるように整理する。ものを作ったら、どういう機能と仕様なのかを説明書を作る。人に何かを説明することになったら、説明対象の情報を予め整理する(ただし話の内容を練るのは設計図の役目)。などなど。

 つまり、「何かをしたら、その情報を書き残す」ということを、「説明図を作る」というフレーズに集約することで習慣化しようという試みである。この言い換えによって私の頭の中はだいぶ整理された。「記録」という言い方をすると、事実の整理をする作業からはイメージが離れてしまって範囲が限定的になる気がしたため、あくまで「これは何か/何であったかを自分/誰かに説明する」という捉え方をしている。
 他者への説明と自分への説明を区別することにはあまり意味を感じていない。他者に説明する前には大抵自分への説明が必要だろうし、説明図を他者に見せるかどうかの違いがあるだけである。説明図の取り出しやすさの都合で置く場所は変わるかもしれないが、別種のものとはみなしていない。加えてド下手問題②でも書いたように、未来の自分はもはや他人であるとも言える。


 まとめると、

  1. アウトライナーをスッキリ使うために用途を明確にしようと考えた。
  2. アウトライナーならではの用途を考えると「意味内容の構造化」が第一だろうと思った。
  3. それを「設計図」と「説明図」の二種類であると解釈した。
  4. 「設計図」とは、まだ存在していない何かを作り上げるために作るアウトラインである。
  5. 「説明図」とは、既に存在している何かについて自分または他者に理解を促すために作るアウトラインである。
  6. 形式の如何より、それらを作っていくということの習慣化が大事なのだと考えている。

 ということである。

 今回は以上だが、反省が生じたり劇的な効果が生まれたりしたらまた経過報告を書くつもりでいる。