前回が⑨なので、今回は⑩にしようかと思ったが、シリーズ記事というよりは今の個人的な状況の話をするだけになろうかと思うので、番外編ということにする。
このシリーズではこれまで「書く気がある」「書く材料がある」ということを前提に、「ブログ記事にした時に自分で納得できない」という問題を回避するためにどうしたらいいかを考えてきた。今回考えなければならないのは、そもそもの前提が崩れた状態についてである。
最近ブログを全然更新していない。端から無理なくらい多忙を極めていたならば特に気にはならないが、書こうと思えば書けたはずだという気持ちがあるのでなんとなく不本意に感じている。書こうと思えば書けたはずなのだ。しかしエンジンはかからなかったし、足はアクセルから遠く離れていた。漠然とやる気がなかった。
なぜ書かないままになったのか、という理由を考えると、何か大きなきっかけというのは見つからない。物事が手につかなくなるような精神的ショックを受ける出来事も最近は特に起きていないし、意識の全てを集中させなければならないような何かがあったわけでもない。一方で、そこまで大きくない理由ならばあれこれと思いつく。
- 期間限定で肉体労働が増加し身体的に疲労している
- 大きなシリーズ(ノートテイキングアプリDIY体験記)の次の記事がプログラム修正に手間取って止まっている(心身ともに元気な時でないと進まない)
- 別なサイトを作ろうかと考えており、どうせならそっちができてからの方がという気持ちがある
- Twitterなどをあまり見ておらず着火剤が不足している
- 懐古モードになっていて全然別なことを始めた(再開した)
- 小説を読むのに時間を使っている
- 書いていないということ自体が書けなさを招いている
ひとつひとつはそこまで大きな要素ではないが、これが同時に全部発生しているとなると、そりゃあ書けないという感じがしてくる。
要因① 疲れている
まず身体的に結構しんどい。日中に疲労困憊になることは明らかなので、本当に文章を書く気なら早朝にやってしまうべきであった。疲れが一定以下ならば夜になってから「まあちょっと書くか」とぬるっと始めても良いのだが、疲労が濃くなるとそういう無計画なやり方は使えない。
ただし早朝に書くためには気持ちの面で下準備が必要で、あれを書こうという思いが予めないとただ早起きしてもうまくいかない。数多の「時間がある時に片付けておきたいこと」が押し寄せ、あっという間に朝が占領されてしまう。
なお私の場合は肉体労働増量期間が一応今月までなので、この点については七月からはハードルが下がるだろうと思う。
要因② 一番進めたいものが止まっている
で、この疲弊した状態と関連することだが、ド素人のサンデープログラマーとしては、万全に近いレベルの元気な時でないとプログラムのエラー潰しや書き直しが難しい。むしろ新しく作る方が簡単で、前に進み続けるだけなら多少の疲労感があってもどうにかなるのだが、「きちんとする」ための作業は本当に元気でないと捗らない。
この捗らなさをちょっと甘く見ていて、力を入れているシリーズ記事が立ち往生している。文章を書くこととは直接関係ない箇所なのだが、これが終わらないことには文章も進まない。
何か意気込んでいるものがあると、それが止まっている時に「じゃあ他の記事を書こう」ということになかなかならない。そうしようと決めておけばいいだけの話ではあるのだが、色々と他に意識を割いたりして注力のバランスを取れないでいると、並行して他のものに取り組みにくいと感じる。他のことに力を使うということは、最も進めたいものをますます停滞させるような気がしてしまうからだ。
要因③ 「どうせなら環境を整えてから」問題
更に、情報を追加することに精神的にブレーキをかけている要素もあり、それは一つには投稿場所の問題である。
現在はBloggerを利用しているが、ブログ然とした形よりも時系列を意識しない素朴なホームページ的な形を作ることを考えている。デザインも色々決めているところで、どうせならそっちを先に作って移転先をガッと充実させたら良いんじゃないか、などという考えがちらちらしている。
この「どうせなら」が曲者で、別に新しいサイトを作るにしても現在のブログに記事を追加していくことは何の邪魔にもならないのだが、なんとなく、新しい場所をイメージし始めるとその場所のことに意識が向いて、今ある場所の充実のモチベーションが薄れてしまうところがある。
また、情報整理作業なんかをし始めて「そもそも別の形の方がいいんじゃないか」と考え出すと、やり方が落ち着くまで、整理される対象となる情報を追加しにくくなったりもする。トップダウンな形の管理だとその傾向が助長されるように思うが、例えばScrapboxはそういった愚かしい停滞が生じにくいように設計されていると感じる。いずれにしても自分なりの形が決まりさえすれば無縁になるはずの悩みである。
要因④ 意識が違うものに分散している
ブログを書き続けるとなったら、自分なりのテーマにある程度集中していなければならないが、それがすっかり乱されていたように思う。
集中すると言っても、机に向かってバリバリとか缶詰になってそれ以外視界に入れないとかいうことではなく、認知資源に余裕ができた時に「つい意識を向ける」ような領域がおおよそ一箇所になっているということだ。
一箇所に意識が向くためには、自然とそこに向かうように引っ張ってくれる情報を得ること、そして他の場所に引っ張るような情報を見過ぎないこと、の二つが必要だろう。そしてその両方が不十分だと、書くエネルギーは自分の中にさっぱり溜まっていかない。
私の場合は、前回の記事(拾い直しの旅)で書いたように、Twitterその他をたまたま見なくなり、たまたま懐古気分に浸ったことで、自分の中でテーマになっているような領域が他のものに替わってしまった。この旅はごく短期間で済むつもりだったのだが、最初に書いた疲労困憊状態が従来路線への復帰を妨げたところがある。何か考えようにも全然捗らないので、この頃は代わりに小説(『三体』など)を読んでいる。
この寄り道はそれはそれで別に悪いこととは思っていないのだが、何かを書くというのは「空いた時間に自問自答」だけで為せるものではないことはやはり気に留めておく必要があるだろうと思う。
要因⑤ 書いていないから書けない
正直最大の原因と感じるのが、「書いていないから書けない」ということだ。これは何かを書けた時に毎回思うことだし、ブログにもどこかで書いたのではないかと思うが、それでも度々陥っていることである。
書けていない時というのは大体「書いていない」。書くネタを意識的に探したりしているとかえってこの状態になりやすい。何をどう書こうかと考えるばかりで、実際に着手しないのである。箇条書きで要素は並べてみるかもしれないが、他人に読ませられるような形の文章を書かない。既に書きかけのものがあるからその先のことはとりあえずメモだけで、なんてこともしばしばある。
何か自分にとっていい感じの文章が書けた時もその後に注意が必要である。そのいい感じの文章は必ずしもトップダウンで計画的に書いたわけではないし、どちらかというと「書き終えてみたら書けていた」というような感覚の方が多いのだが、前回うまく書けたから次も、などと考えると急に逆算して書こうとしだしたりする。そうならない人はならないと思うが、自分をコントロールしたい、コントロールしないとコンスタントにできるはずがない、というような意識があるとかえって自分で自分を乱してしまうことがある。結局は「欲を出している」ということなのかもしれない。
こういう理由によって自分は書けていなかったのだろうと考えたわけだが、ここまで書いてみると、五つの要因それぞれ個別の記事にできたような気もしてくる。もちろん書き始めた時点ではそんなことは全然予想していなかった。
書いてみないと書けるか書けないかわからないし、書いてみると大体書けている。書いてみなければ書けるものも書けない。わかっちゃいるのに、そのうちまた同じ罠に嵌ってしまうのだろう。でもこうして書いておけば、自分のボタンの掛け違いに気づきやすくなるのじゃないかと少し期待している。